田中正明の松井大将日誌改竄問題

南京攻略戦を指揮し、戦後A級戦犯として処刑された松井石根
その人物の元私設秘書であり、陣中日記を改竄し発表したことで有名な田中正明氏。
 ※動く田中正明氏はコチラ


しかし自由主義史研究会会員の茂木弘道氏によると、
「田中さんの「松井大将日誌」には誤りが多いと言うことを指摘したのは、板倉由明氏でした。「歴史と人物」(昭和60年冬季号)で、草書体で読みにくい原文の判読に不正確なところがたくさんある、というもので、決していわゆる「改竄」したというものではありませんでした。」 とのこと。


たしかに原本が読みにくいのは事実かもしれない。

私には全くと言っていいほど読み取れない...


もっとも、南京事件 小さな資料集 ←こちらなんかを見ると明らかに...


ということで、実際にどのような陣中日記でどのレベルの改竄なんだろうと興味もあったので、次の二冊の本を図書館で借りて見比べてみました。
・南京戦史資料集 偕行社 (1993/12)
松井石根大将の陣中日誌 田中正明著 芙蓉書房出版 (1985/05)
確認した結果、上記サイトの抜粋に加えて、幾つか私のような素人でも判断できる改竄箇所があったので、まとめてみることにしました。
南京戦史資料集内に収められた松井日記を「原本」*1。芙蓉書房から出版され田中正明氏が改竄を加えた方を「正明」と表記し、それぞれ収められたページ数を横に表記しました。
 
参考:板倉由明「松井石根大将「陣中日記」改竄の怪」


【追記】
田中氏の著作『"南京虐殺"の虚構』(1984年6月出版)に引用されている箇所は 虚構引用
『諸君』1983年9月号「"南京虐殺"・松井石根の陣中日誌」に引用されている箇所は 諸君引用
 
※見比べ易いように原本のカタカナをひらがなに変換しました。
※改竄箇所に「編者注」として説明が付加されている場合が多かったので、併せて載せておきます。


12月14日、15日

原本: P17
京城入場の両軍師団は、城内外の残敵を清掃す。敗残兵の各所に彷徨するもの数万に達すとの事なるも未詳。

正明: P128
京城入場の両軍師団は、場内外の残敵を清掃す。敗残兵の各所に彷徨する者数千に達するとの事なるも未詳。
 
虚構引用

少なくなっちゃった!


12月19日

原本: P21〜22
此日午後幕僚数名を従へ、、清涼山及北極閣に登り、南京城内外の形勢を看望す。城内数ヶ所に尚兵燹の揚れるを見るは遺憾なれと、左したる大火にはあらす、概して城内は殆と兵火を免れ市民亦安堵の色深し。
 
正明: P133
此日午後幕僚数名を従へ、清涼山及北極閣に登り、南京城内外の形勢を看望す。城内二、三ヶ所に尚兵火の揚れるを見るは遺憾なれど、さしたる大火にはあらず、概して城内は殆ど兵火を免れ、市民亦安堵の色深し。
編者注:大将は幕僚と共に占領下の南京市内を視察して、「城内は殆ど兵火をまぬがれ、市民亦安堵の色深し」と述べているが、東京裁判とよると、占領から一週間、つまり十三日から十九日までが"南京大虐殺"の最高長期で連日何千人もの虐殺が続き、市内は死体で埋まり、血は河をなし、日本軍の放火、略奪、暴行、強姦は頂点に達したとし、其死体だけでも一万二千あったと告発されている。
 
虚構引用
諸君引用 ※ここでは「数ヶ所」と正確に引用している

まぁ大した改竄じゃないけど...



12月20日

原本: P22
去七月大使館引上当時支那側に委託したる我公使建物は、一部の少奪掠の外、概して相当に保護せられ、殊に大使館建物は内容共完全に保存せられあるは、支那側の措置としては寧ろ感服に値あり。


正明: P134
去る七月大使館引上当時支那側に委託したる我公使建物は一部の少奪掠の外、概して相当に保護せられ、殊に大使館建物は内容共完全に保存せられあるは、支那側の措置としては寧ろ感服に値すべきか。

何故か疑問形に。



12月20日

原本: P22
尚聞く所、城内残留内外人は一時不少恐怖の情なりしか、我軍の漸次落付くと共に漸く安堵し来れり、一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なり。
 
正明: P135
尚聞く所、城内残留内外人は一時多少恐怖の色ありしが、我軍(による)治安漸次落付くと共に漸く安堵し来れり、一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)、強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なれど洵に遺憾なり。
編者注:二十日の段階で、すでに市民は「安堵し来たれり」と述べている。
 
虚構引用 ※「色ありしが」を「情ありしが」としている

勝手に言葉を足してニュアンス変えてます。



12月23日&11月30日

原本: P11
11月30日
此日倫敦タイムスの「フレザア」及紐育タイムスの「アベンド」を召致し、予の上海占領及其後に於ける態度を説明し、就中、上海に於ける列国の権益を保護する為め予の執りたる苦心の程を説明せり。彼等能く予の意を諒し、且つ我軍の公正なる態度に付尊敬感謝の意を表し、各本国に向ひ委曲通信すへきを約す。


正明: P137
12月23日
此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムスのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信員と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本の方針及びパネー号に対する善後処置なり。
編者注:南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問を受けたという様子は全くみられない点、注目すべきである。

11月末に行った記者会見を12月末に移動、「南京虐殺」の質問が無いことに注目すべき!とか言ってます。



12月29日

原本: P24
南京に於て各国大使館の自動車其他を我軍兵卒奪掠せし事件あり。
 
正明: P141
南京に於て米国大使館の自動車其他を我軍兵卒奪掠さし事件あり。
編者注:米大使館の自動車事件は、米大使館フイッチが日高総領事に貸与したるものにして、米側の連絡のそごに起因するものなることがのちに判明したが、日本側は新品の自動車を購入して弁償している。大将はこのような事件に対し、極めて神経質に、敏速な措置をとっている点留意したい。
 
虚構引用
諸君引用

各→米に読み間違える可能性が無いともいえないかもね...



1月10日

原本: P30
無し


正明: P148
此日各国の主要なる通信員と記者会見す。
編者注:この記者会見でも南京虐殺事件は問題にされていない

脳内記者会見とそれに対する編者注。



1月24日

原本: P33
第十六師団長北支に転進の為め着滬す。其云ふ所、言動例に依り面白からす。殊に奪掠、等の事に関し甚た平気の言あるは、遺憾とする所、由て厳に命して転送荷物を再検査せしめ、鹵獲、奪掠品の輸送を禁ずることを取計ふ


正明: P155
第十六師団長北支に転進の為め着滬す。其云ふ所、言動面白からず。由て厳に命じて転送荷物を再検査せしめ、鹵獲、奪掠品の輸送を禁ずることを取計ふ

中島第十六師団長の言動がバッサリと。



2月6日

原本: P38〜39
朝八時出発汽車にて南京行。
沿道の状況凡て著く鎮静に赴き、各地避難民も漸次帰来し、各地自治組織の成立しつつはるは可欣も、未た一般の情勢中〃容易ならす。支那人民の我軍に対する恐怖心去らす、寒気と家なき為め帰来の遅る、事固とより其主因なるも、我軍に対する反抗と云ふよりも恐怖・不安の念の去らさる事其重要なる原因なるへしと察せらる。即各地守備隊に付其心持を聞くに、到底予の精神は軍隊に徹底しあらさるは勿論、本事件の根本の理解と覚悟なきに因るもの多く、一面軍紀風紀の弛緩か完全に恢復せす各幹部亦兎角に情実に流れ又は姑息に陥り軍自らをして地方宣撫に当らしむることの寧ろ有害無益なるを感し浩歎の至なり。
 
正明: P164
朝八時出発の汽車にて南京行。沿道の状況凡て著しく鎮静に赴き、各地避難民も漸次帰来し、各地自治組織の成立しつつあるは欣ぶ可きも、未だ一般の情勢中々容易ならず。支那人民の我軍に対する恐怖心、加へて寒気と家なきことが、帰来の遅るる主因となりをるものと思惟せらる。
 
虚構引用

都合が悪いところはバッサリと切り捨て淡白な感想に。



2月6日

原本: P39
六時南京着、直に大使館に投し、夜朝香殿下の御招宴に列す。殿下は切に江北方面に於ける作戦の必要を述へられ、又現兵力を以て裕に宿県辺迄は守備するに足る事を以てせらる。御同感の次第にて之以上積極的行動は、中央の考の変る迄は可慎も現状を保持する丈は異存なき旨申入れたり。
 
正明: P164〜165
六時南京着、直に大使館に至る。夜朝香(宮)殿下の御招宴に列す。殿下は切に江北方面に於る作戦の必要を述べられ、又現兵力を以て裕に宿県附近までは守備するに足ると、全く御同感の次第なれど、之以上の積極的行動は、中央の考えの変る迠は慎むべき旨申入れたり。
 
虚構引用

宮様が一人ではしゃいでるみたいな...



2月7日

原本: P39
蓋し南京占領後の軍の諸不始末と其の後地方自治、政権工作等の進捗せさるに起因するものなり。


正明: P165
蓋し南京占領後の軍紀風紀に対する不始末とその後地方自治、政権工作等の進捗せざるに帰因するものなり。
 
虚構引用

「緒」の中に「軍紀風紀」が入るのはわかりますが...



2月8日

原本: P40
昨夜軍司令官の会食あり、各隊長等五十余名来会、盛会なり。予は宣撫に付希望を述へ、兎に角支那人を懐かしめ、之を可愛かり、憐む丈にて足るを以て、各隊将兵に此気持を持たしむる様希望せり。
 
正明: P166
昨夜軍司令官(注・朝香宮)の会食あり、各隊長等五十余名来会、盛会なり。予は宣撫に付希望を述へべ、兎に角支那人を慈しめ、懐かしめ、之を可愛がり、憐むこと、只其慈悲心の心だけにて足るを以て、各隊将兵に此気持を持たしむる様希望せり。
編者注:これが松井大将の本心なのである。松井の支那民衆に対する気持ちが実によく表れている。
 
虚構引用

書き足しておいて「これが松井大将の本心なのである」は酷い。

ま、判読の不正確ってレベルじゃないわな、正味な話が。シロとクロで言えば真っ黒。
ひょっとしたら、出版当時(1985年)に流行っていた『 超訳 』に影響されたのかも?と思いました(適当)。


ぶっちゃけ こちらこちら を読むと、田中正明氏は単なる人格破綻者のような気もします。

*1:南京戦史資料集の日記は抜粋で、全ての日付分の日記は収められてなく、省略箇所も多々あり、必ずしも書き写されている内容が正確とは限りませんが。比較する上での都合上「原本」とさせていただきます。。