激動する世界情勢と日本の原子力利用

 
9月20日のエントリーと同様、月刊『原子力文化』2008年12月号に同年10月23日に同誌を発行している財団法人日本原子力文化振興財団が主催した第45回「原子力の日」記念シンポジウムが特集記事になっていて、そこで行われた座談会がなかなか興味深いメンツ(中林美恵子日高義樹佐藤優橋本五郎大橋弘忠)だったので今回も丸々引用してみます。前年2007年7月に新潟県中越沖地震により変圧器火災発生し柏崎刈羽発電所全面停止したことを念頭に置いておくと読み進めやすいかも知れません。*1 *2

激動する世界情勢と日本の原子力利用 --改めて問う原子力平和利用の意義とは
 
■石油の時代が終わり戦略として原子力の時代が始まっている
 
中林美恵子(以下「中林」) *3
 まず、昨今の原油価格の乱高下が世界に何ももたらしたのか。またトウモロコシやサトウキビがバイオ燃料になるということで、経済は大変大きな影響を受けているのではないかと思えます。
 
日高義樹(以下「日高」) *4
 今、一時期に比べて石油は安くなっています。しかし、2025年頃には1バレル250ドルを超すというのが専門家の基本的な予測です。歴史的に見れば、「石油の時代は終わった」とアメリカの指導者は考えています。
 
佐藤優(以下「佐藤」) *5
 ロシアの国家戦略では、もう10年以上前から原子力省の発言が強くなっています。戦略物資としての石油をどの程度出すかは、実は原子力省が深く関与しているのです。原子力発電を中長期的にどれくらいの量にするかによって、戦略物資としての石油の輸出量が決まってくる。石油の時代が終わったと同時に、戦略としての原子力の時代が始まっています。
 
橋本五郎(以下「橋本」)  *6
 原油高は一体何をもたらしたか。一つはやはり原子力も含めた温暖化対策に弾みがついた。短期的に見れば、石油を産出する国の力が強くなっている。長期的に見れば、確実に石油に頼る時代は終わったが、短期的には必ずしもそうではありません。
 
大橋弘忠(以下「大橋」)  *7
 石油はエネルギー源として原子力のような熱を出す機能もありますが、そのほかにも、手軽に火がつく、化学物質の原料になる、ジェット燃料になる、薬の原料になるなど、とても多用な用途をもっています。
 石油の貴重な使い方をよく考えながら節約をして、将来の世代や発展途上国のために少しセーブをしていくことが、先進国としての責務だと思います。
 
中林
 アメリカは必ずしも原子力を戦略的に最優先にするという状況ではなく、「代替燃料も含めて考えていく」という話が出ている気がします。
 
日高
 石油が一番安く使いやすいし、石油が駄目ならタールなどがあるわけです。今回大騒ぎになったのは、2005年から石油の産出量が少しも増えなかったが、中国の消費量が急激に増えている。それに輪をかけて急にブッシュ政権がドルを安くしたことで、産油国が石油を増えている。それに輪をかけて急にブッシュ政権がドルを安くしたことで、産油国が石油を増やした。その後、アラスカやルイジアナの地下にある石油を掘り、石油が安くなったのです。
 そういう中で安定した代替エネルギーといえば太陽光などが挙げられるが、それには時間がかかる。それまで何をするか。一番安定しているのは原子力エネルギーではないか、というのが今の政治的な状況です。
 
橋本
 原油の値上がりには、二つの大きな要素があって、需要が増えたということと、もう一つは投機の対象としてマネーが流れ込んだことがある。
 それに対して、むき出しで暴力的な資本主義はやはり抑えなければいけないという具合になったのです。半分の要素は政治が何とかしなければいけない、それが今、政治に求められていることです。
 
中林
 石油の高騰によって、お給料が上がってないのに、食パンからマヨネーズに至るまでどんどん上がり、生活が本当に大変な時代になっています。将来いろいろなエネルギーが出てきて、それが一極に集中してしまったら、今度はそこが投資のターゲットになることも考えられます。国民の生活や安全保障のためにも、エネルギー政策は私たちの生活に実は非常に直結した問題であり、国家的戦略の下に考えていかなければならないものです。
 
橋本
 エネルギーの乏しい日本がこれから生きていくためには、総合的なエネルギー戦略がないといけない。その中で原子力を長期的にどう位置づけて、日本の国をどういう国にしようとしているのか、真剣に発言している政治家はあまり聞いたことがありません。
 
佐藤
 「石油の時代が終わった」ということは、環境倫理の観点からとても重要だと思うのです。化石燃料を私たちや次の世代で全部使い尽くしてしまったら、100年後、200年後に生まれてくる人に私たちはどう責任をもつのか。大国というのは、そういうことに対する絵を描いて責任感をもたないと生き残っていけないと思います。
 ロシアが原子力を重視していくのは、そのへんも加味しながら、むき出しの資本主義ではない国家戦略を提示したほうが、中長期的にロシアが生き残っていくことができる、という大国ならではの感覚からきているのです。
 
大橋
 日本の政治家や官僚システムは非常に優秀で、エネルギーのように10年以上のことを考えなければいけない中長期の問題に、これまで適切に対応してきたと評価をしています。原子力発電自体、今日まで日本のエネルギーをうまく支えてきた。
 しかし、ここ数年、何かトラブルが起こると、落ち着いてみんなで考えればいい問題に対して、社会的な圧力のために非常に過剰に反応せざるを得ない状況になってきていると思います。
 
原子力発電所がどれだけ必要で何基つくるかそれが国家戦略だ
  
日高
 2015年から30年の間に、アメリカの人口は今の3億から4億に増える。その電力の30%を原子量で確保するためには、45基の原子力発電所の新設が必要である。50%を原子力で賄うためには、165基の原子力発電所が必要である。そのための予算が全部国家戦略として計上される。それを政府が行うのがアメリカなのです。いじめなどの話は学校の先生がやればいいわけで、政府は関係無い。また、個人の生活は個人がやればいいわけです。
 
大橋
 日本の原子力では、どこの県のどこのサイトにどういうプラントをつくるのか、という個別性が高い現実の問題があります。そこに権利関係や安全に対する不安という問題がとても複雑に絡み合ってきて、なかなか進まない。
 
日高
 どこの国も同じ問題があります。しかし、どれだけ必要で何基つくるか、そのためにはどうするか。それが国家戦略ですから、結局、国家があるかないかということに行き着くのではないですか。
 
橋本
 例えば、原子力発電所で火災が起きると、繰り返し燃えているところが報じられる。そのことが、中で起きたこととどんな意味があるのかほとんど議論されず、「大変だ。火災が起きた。これじゃいかん」と。私たちメディア側も本当に反省しなければいけない。今起きていることは、一体どういう意味なのかをきちんと報道する責任があります。
 逆に原子力に携わっている人が過度に反応して、できるだけ表に出さないようにすることで、またさらに不信を招く。悪循環の繰り返しとも言える。ここは少し仕切り直しをして考えなければいけないと思います。
 
中林
 この不信の連鎖が脱石油社会の障害の一つになっている可能性もあります。ロシアはあれだけガス、石油があるにもかかわらず、どうして原子力にシフトしようとしているのか。なぜロシアが脱石油社会を考えているのか、非常に不思議です。
 
佐藤
 原子力を常に持っておくことが、外交においても大きなカードになることを彼らはわかっています。例えば、イランの軽水炉に対してロシアはずっと協力をしている。これに対してイスラエルは「やめろやめろ」と言っている。やめるということでイスラエルに対するカードを持つことができるわけですよ。六か国協議も第一期のときは、ロシアの軽水炉北朝鮮に供与することをやっていた。原子力はその国の最も高い知見がそこに結集されている、という象徴的な意味があるのです。
 ロシア人に言われたのですが、「日本で原子力発電の依存が32%くらいあることを、何でもっと積極的に使わないのだ。中国や韓国、北朝鮮IAEAにしても常に日本は核兵器をつくる可能性があるのではないかと見ている。明らかに能力はある。しかし原子力発電に30%も依存している国がもしそんなことをして、今のNPT体制の下でウランを買えなくなったら、産業が完全に崩壊してしまう。だから日本は核保有しない。なぜこういう説明をしないのだ」と。確かにそうだなと思ったことがあります。
 
中林
 石油を有するロシアでさえ脱石油社会、そして原子力へシフトしている中で、日本はいろいろな政治的障害や言葉の力の不足、あるいは不安や不信の連鎖といった問題もあって、脱石油社会に向けた次のステップに大幅に進んでいくことがなかなかできない状況にあるわけです。
 日本の原子力の平和利用の問題では、日本は特に原子爆弾を落とされたということがあり、そういうところからも不信の連鎖の一端があるのかもしれない。あるいは、それに基づいたマスメディアの報道の中に何らかのバイアスが存在するのかもしれません。
 
■安全性に問題がなかったことも国民が知らないと意志決定が難しい
 
中林
 柏崎刈羽原子力発電所はもう少し早く回復するのかなと思いましたら、まだ止まったままで、そのため、その分を火力などで賄っているわけですね。そのためにCO2が多く出てしまう。柏崎刈羽の影響はどのようになっているのでしょうか。
 
大橋
 柏崎刈羽原子力発電所は、日本の原子力の発電量の15%くらいを占めます。発電量が原子力は三割ですから、柏崎刈羽は4〜5%くらいのシェアを持っています。エネルギーに使う量は発電だけではありませんから、半分くらいに割り引くと、柏崎刈羽の停止によって2%強のCO2を余計に排出していることになります。
 ただ、止まってからもう一年数ヶ月経ちますが、これは決して長いわけではなく、あれだけの被害が起きましたから、すべての設備を丹念に点検しながら順次動かす方向へ向けて検査していくには、それくらいの時間がかかるかな、という印象をもっています。
 柏崎刈羽原子力発電所の点検をしたところ、安全性には何の影響もありませんでした。このことは、原子力発電が将来、国にどういう役割を果たすべきかを国民が判断する上で知るべきことだと思います。中越沖で地震が起きて、被害を受けたことは報道する必要があると思いますが、同じように安全性に問題がなかったということも報道するべきです。国民が知っておかないと、意志決定が難しいと思うのです。
 
橋本
 「あ、そうか。こういう事態はこういう具合に両方の考え方ができるのだな」と思えるのかどうか。教養や知識の度合いの問題こそ、本当に学校で積み重ねていかなければいけないのではないかと思います。
 それから、例えば、再稼働しようとすると、知事選や市長選、町長選など、必ず選挙があるのですね。すると、もはや冷静に論じることは難しくなる。「さあ、直ちに稼働しよう」と言う人間と「いやいや、そうじゃない」と言う人間と争うわけです。「ここは冷静に議論しよう」という話しにはなかなかならない。民主主義の国である限り、それは避けられないことでもあるのですが、一体どう考えればいいのか。ある種のコンセンサスを成熟した民主主義の国として不断に考えて、新しいものを生み出そうと思わないとなかなか先へ進めないと思います。
 
中林
 日本は海外で事故が起こるたびに「日本も危ない」と言って、反対にマイナスのほうにもっていってしまう、という感じがします。アメリカはスリーマイルアイランド原子力発電所事故の恐怖におののいて、新たな原子力発電所の建設に関して長いこと止めていましたが。
 
日高
 まず第一に、アメリカでは「安全」が論じられるなどというのは聞いたこともないですよ。今の世界テーマは、CO2を除去するためにいくつ原子力発電所をつくるか、という話です。
 つくるに当たっては、エゴが出ますから、「いやだ」と言う人がいます。それをなくするのが国家の仕事だし、コンセンサスをつくるのがマスコミの仕事です。日本では何も行われてない。
 今、何基つくるか、つくることに国民は同意するかどうかです。同意をするために学者や政治家がどう努力するか。ところが、日本人はやってないのです。
 
中林
 日本にはいろいろなトラウマがあって、民意の結集がちょっと困難なところがあるのかな、と頭を悩ませるわけです。政治家のリーダーシップと科学者のがんばりで何とかなるものでしょうか。
 
佐藤
 原子力の平和利用の問題は国家の根幹で、これなしに生きていけないわけですから、もう少し冷静に議論をする。そして、アレルギーがある人のところに切り込んでいく努力をする必要があると思うのです。その場合に有識者がちょっとだけ勇気をもつ必要がある。納得してくれる人がいる居心地の良いところでだけで話をするのではなく、納得しない人のところに出ていって、「こうじゃないのか」と。
 そして日本の技術者、専門家のレベルは高いわけですから、その人たちを信頼する。信頼する感覚はやはり政府がきちんとつくっていかないといけないし、マスコミも国民が興味をもつ話を書かないといけないと思うのです。
 
橋本
 ボタンのかけ違いが日本の原子力利用にはずうっとつきまとっていた。そういうことも仕切り直しをしなければいけない。
 ボタンのかけ違いの最初の一つは、やはり日本が唯一の被ばく国であるからです。そのトラウマが消えないうちに原子力の導入が決まる。そして、冷戦が始まる。それがイデオロギー闘争の一つの大きな材料になっていってしまう、という非常に不幸な歴史がある。この歴史を意識的に清算しよう。そのトラウマからまず脱出しなければいけない。
 それからもう一つボタンのかけ違いがある。それはやはり科学者にも責任があると思いますが、「原子力は安全だ」とこれまで言ってきた。しかし事故は起きるもので、避けられない事故に対してどう対応するかが安全対策です。技術的な問題も含めて、幾重ものボタンのかけ違いをどうやって仕切り直しをするか。そうしないといつまで経っても同じような議論に支配されてしまいます。
 
原子力発電所は社会インフラとして重要な機能を担う
 
中林
 私たちの脱出のヒントは、リセットのタイミングと内容をどうできるかにかかっているかもしれませんが、そのような頭の切り替えを日本人全体としてできるものですか。
 
大橋
 難しいと思います。外国から見ると、原子力をやっていると核武装するのではないかと思われます。しかし日本が成熟した民主主義であり続ける限り、日本の国が核武装することはほとんど考えられません。
 安全については、一般の方がもっている安全の考え方と私たちがもっている安全の考え方はずいぶん違います。専門家ほど「何の問題もない」と。原子力発電所は極めて安全で、社会のインフラストラクチャーとして重要な機能を担うものだと思っています。
 しかし、一般の方は漠然とした不安感をもっていて、それがどんどんエスカレートしていって、怖い猛獣が檻に閉じ込めて、私たちがビクビクやっているのではないか、と。そうすると、「安全を第一に」という言い方をします。私たちの皮膚感覚からいえば、技術的に完成されたシステムですから、きちんと対策をしていることもあり、たいしたことは起きないと思っているわけですが、現実には、「念には念を入れろ」ということで、箸の上げ下ろしまで管理したり、裸になるまで透明化することになり、あまり意味のない社会的コストがたくさんかかっています。
 コストがかかることが国民が理解した上で、「それでいいんだ」といえばそれでいいと思いますが、本当に国としてリスキーでお金をかけなければいけないところにかけるお金が残ってない。
 こういうことを改善していくこと、バランスを良くしていくことができるかどうかは、私たちの頭の中を変えないいけない。難しいといってもできないことはないので、専門家として努力したいと思います。
 
橋本
 今、年金と消費税について非生産的な議論が行われています。消費税は少ないほうがいいに決まっています。しかし、そのことと年金がいくらもらえるかという関係がきちんとわかれば、「さあ、どっちを選ぶのか」という話になるわけです。
 原子力についても「不安を覚えている人もいる。しかし、日々CO2に蝕まれている現実がある。さあ、どっちをとるか」という具合に選択肢を提示されれば、判断ができるわけです。
 片方は「漠然として怖い」、CO2の場合は「しかし、見えるわけでもないから」ということであれば、想像力を働かせれば判断できる。今までは、そういう判断ができるような機会が与えられてなかったと思います。
 
大橋
 私たちは常にリスクやベネフィットを選択肢から選んでいくことが必要だと思います。
 原子力は、決して必要悪ではありません。クリーンで人類が獲得してきた技術エネルギーとして、選択肢の一つと考えていくべきだと思います。
 個人個人が原子力の必要性や安全性を理解してほしい、というのが私たちのアプローチだったのですが、そうではなくて、行政庁、規制庁、電気事業者や私たち専門家、あとマスメディアが、国民に漠然とした信頼感をもってもらうことが仕切り直しの一番近い方法かなと思っています。
 
中林
 漠然とした信頼感が日本で打ち立てられるんでしょうか。
 
佐藤
 打ち立てなければ、国家と日本人は生き残れない。日本の国はだらしないように見えますが、コンセンサスをつくろうという内側からの力が働いてくる国なのです。アジアの中で唯一植民地にされなかった国です。こういう国であるにもかかわらず、今、ちょっとセンサーシステムが鈍っている。
 
中林
 世界の状況から見て、日本が生き残れなくなるという緊張感があれば、原子力に対する信頼感もちきっと打ち立てようという使命と意志をもつはずです。
 しかし、日本人は激動する世界情勢の中で生き残れないかもしれない、という危機感を持っていないのではないかと思います。
 
■CO2を排出しないために原子力発電所がこれから何基要るか
 
日高
 今、原子力エネルギーについて必要なことは、CO2などを何トン出さなくて済むかというために、原子力発電所がこれから2030年までにどれだけ要るか、ということだけです。
 それよりももっと大きなエネルギーの問題は代替エネルギーバブル崩壊です。世界中でこんなにたくさん代替エネルギーの研究に金を使ったときはない。「エネルギーが足りないから原子力」という話はもう古いのです。CO2で地球が滅びてしまうからどうするか、という考えのほうが強い。
 
中林
 「地球を救うための原子力発電」となってくるわけですね。
 
日高
 そうですね。
 
大橋
 日本ではエネルギーの自給率は4%、それに対して食料は40%の自給率だと言われています。食料は努力すれば自国で何とかできる側面がありますが、エネルギーが4%ではどうしようもありません。これを切られたら、日本はホントに国としての機能を果たさなくなる。石油がなくなると漁師さんが魚を捕りに行けずに、魚も食べられなくなるような非常に複雑な現代社会のもっている構図がある。
 エネルギーの確保は思っている以上に複雑に日常生活に影響しているし、あるエネルギーを開発するのに数年から10年かかるということを考えれば、やはりきちんとした国としての意思を持つことが極めて重要だなと思います。
 
橋本
 私も柏崎刈羽原子力発電所を見ましたが、地震が主要な施設には全く影響を残さない優れた設計だったことが裏づけられている。その背後には、日本の技術の粋を集めたものがひょっとしたらあるのかもしれない。
 その信頼がちょっと火災が起きただけで木っ端微塵になっている。しかし大事なのは「もうちょっと考えてみよう。日本の技術があそこに凝縮されているのかもしれない」という想像力です。私たちの生活を成り立たせている大事なものは、私たちが見えないところにはひょっとしたらあるのかもしれない。そういう気持ちをもつことが根本的に必要ではないか、という気がします。
 
日高
 これから、40、50年は原子力エネルギーしかない。その後は、やはり太陽エネルギーです。そういう長期的なエネルギー構想が日本にとって必要になります。したがって、CO2などをなくすにはいくつの原子炉が必要なのか、という具体的な問題がテーマにあんるべきだと思うのです。
 世界中をみてみると、やはり原子力の技術は日本なのです。今、世界に440基ある原子力発電所が、2030年までには1500基になる。それは全部日本の技術がないいとできないわけです。日本人の、ものの考え方と発言力はものすごく強いと思っていいと思います。
 
大橋
 私たちの生きていることの目標、何を意義にして、リスクをどう考えるか。とにかくカッカカッカして怒ってばかりいないで、少し落ち着いてほしい、というのが正直なところです。
 10年前の京都会議(COP3)で環境の問題が議論されたときは、「原子力は来るな」と何か汚いもののように扱われました。最近の海外、国内の状況を見ると、まさに十年一昔です。いよいよ原子力が期待されていることをひしひしと感じています。
 
橋本
 ラディカルというのは根源的という意味もありますが、今こそラディカルなものの見方をどうやって共有すべきなのかが問われていると思います。
 食料の自給率が40%以下で、それに対して手を打たないでいる国というのはどういう国なのか、やはり根本から考え直さなければいけない。エネルギーは4%しかない。全部首根っこを押さえられている国は、真に独立している国と言えるのか、その根本まで考えながら、「4%からできるだけ増やすためにはどういう方法があるか」「大きな地球的な課題になっている地球環境の問題をどうするか」を議論していく。それらをやっていくのはやはり教育の場だと思う。そういう訓練がもっと学校教育であってもいい。おそらく原子力はほとんど教えてないでしょう。まずそこのところを仕切り直しの一番の根本に据えなければいけないと、つくづく思います。
 
佐藤
 日本は、技術水準が極めて高く、誇りをもっていて、それをきちんと理解可能な言語でしゃべることができる専門家がいる。国際的にはそういう国はあまりないと思います。これだけ知的水準が高い日本で、ここのところで何か合成の誤謬が起きている。官僚も決して極端に能力やモラルが低いわけではない。
 本当に仕切り直しをやるためには、とにかく行動することです。自分のいる場所で、今の仕事を一生懸命やる中で、もうちょっとリスクを負って。とにかく「バカの壁」を破って、一つひとつのことについて、特に国家にとって重要なこの原子力の問題は、国民一人ひとりが惰性に流れるということではなく、自分の頭で考える問題にしていきたいと思います。
 
中林
 今日のシンポジウムで、日々の生活の中、「知の集結」である原子力が私たちの生活にどれだけ密着しているのかを考えていくきっかけになれば大変幸いではないかと思います。

因みに中林美恵子さんは翌年の2009年8月の衆議院選挙で、神奈川県第1区から民主党候補者として出馬して当選しております。
 
参考:【原発の不都合な真実】原発は温暖化対策に役立たない−この世界には、はるかに有効な二酸化炭素の排出削減政策がたくさんある
 

*1:月刊『原子力文化』2008年12月号 P3-11

*2:シンポジウムは2008年10月23日、東京・有楽町朝日ホールにて開催

*3:中林美恵子・・・衆議院議員(当時の肩書きは跡見学園女子大学マネジメント学部准教授) Wikipedia

*4:日高義樹・・・米ハドソン研究所首席研究員 Wikipedia

*5:佐藤優・・・文筆家(当時の肩書きは起訴休暇外務事務官・作家) Wikipedia

*6:橋本五郎・・・読売新聞特別編集委員 Wikipedia

*7:大橋弘忠・・・東京大学工学系研究科システム創成学専攻教授 Wikipedia