麻生部落差別発言問題週刊誌記事

 
麻生太郎さんが野中広務さんにしたと噂される被差別部落差別発言
この件を扱った週刊誌記事を集めてみました。

週刊現代 2007年1月6日−13日合併号
週刊文春 2008年3月27日号
サンデー毎日 2008年9月14日号
週刊朝日 2008年9月26日号
週刊文春 2008年10月2日号
週刊朝日 2008年10月3日号
週刊ポスト 2008年10月3日号
 

週刊現代 2007年1月6日−13日合併号 P47*1
野中広務官房長官山崎拓は『週刊文春』を部落問題で恫喝した」 「いまこそ部落差別を語る」シンポジウムで衝撃の暴露
 
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野中氏が本誌に直接証言する
 そして野中氏は、「行政による特別扱いが差別を再生産した」と持論を展開。京都市役所による被差別部落出身者による被差別部落出身者の優先採用や、税務申告上の優遇措置にも舌鋒鋭く迫り、
「法や税金の特権がなくなったいま、立ち上がらなければ本当の部落解放はできない」
 と主張した。途中退席する参加者はほとんどなく、予定時間をオーバーするほどの盛会だった。
 そんなシンポジウムの中で、野中氏の口から"爆弾証言"が飛び出したのである。その内容は、自民党の超大物議員二人が許しがたい部落差別思想に支配されていることを示すもので、事実なら到底許されるものではない。以下、その概略を記す。

 '03年に政界を引退した野中氏は、一時期首相候補と目されたこともあった。そんな野中氏について、麻生太郎政調会長(当時・現外務大臣)が自らが属する派閥「大勇会」の会合で、
「野中のような部落出身者を日本の総理にしていいのか」
 と発言した。そのことを、野中氏は大勇会の3人のメンバーから確認したという

山崎拓元副総裁(70歳)は、自身にまつわる女性スキャンダルを報じる記事が掲載されないように、取材した『週刊文春』編集部に対して、「相手の女性の出自は部落であるから掲載しないように」などと脅しをかけた

 週刊文春が報じた山崎拓氏の女性スキャンダルは複数件あるが、そのうちのどれが問題の記事なのか、特定するつもりは本誌にはない。改めて言うまでもないことだが、本誌はここで、登場する女性の出自について詮索するつもりもない。本誌の報道の目的は、部落問題をことさら持ち出して自身に不利な報道を封じ込めようとするような行為を、検証することにある。
 名指しされた当事者たちはどう言うのか。
 まず麻生太郎事務所は、「すでに衆議院総務委員会で説明しており、それ以上のコメントはない」
 と言う。
 この発言は、実はすでに『野中広務 差別と権力』(魚住昭著・小社刊)の中で報じられている。同書の記述について'05年2月22日の衆院総務委員会で取り上げられており、麻生氏は以下のように答弁している。
「その発言については事実とまったく違っていると思っております。大勇会の中でその種の話があったという3人というのが、どなたを指して3人と言っておられるのか存じませんが、私どもの席では、昼食会の席だったので、かなりの数がいたという記憶がありますので、いずれにいたしましても、大勇会の席でその種の発言をしたことはありません」
 一方、山崎拓事務所の回答はこうだ。
「そんな事実は一切ありません」
 両者とも全面否定する。事実関係を確認し、発言の真意を確かめるため、野中氏に聞いた
――山崎氏は本当に文春側に圧力をかけたのか。
「記事になる前の日かな。山崎拓本人が赤坂のKという料亭に週刊文春の編集長を呼び出して、『彼女は部落の出身だから、書いたら大変なことになるぞ』と言うて圧力をかけたんだ」
――麻生氏は、昨年の衆院総務委員会で全面否定しているが。
「事実無根だなんて。その会議(大勇会)におった人間が言ってますよ。河野(洋平)さんも言っているし。何人も聞いていることだから、私は言うてる」
 最後に野中氏は、力をこめてこう言い切った。
「政界にも根強く差別意識が残っている。シンポジウムでこれらのエピソードを話したのは、そうした現状に対する強い憤りがあるからなんです」

 

週刊文春 2008年3月27日号 P53*2
麻生太郎が総理になれない理由 政治ジャーナリスト 藤本順一
 
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 過去にも麻生はこの手のデマ情報で総理総裁の座を棒に振ったことがあった。
 森元首相の退陣表明を受けて行われた平成十三年四月二十四日の自民党総裁選は、候補擁立をめぐり最大派閥、橋本派が分裂の危機を迎えていた。当時、派内の若手グループ「ムネムネ会」をまとめて自力を付けた鈴木宗男総務局長が野中広務元幹事長の擁立を主張したのに対し、これに難色を示す青木幹雄参院幹事長や村岡兼造総務会長が麻生の擁立に動いた。
 ところが、ギリギリのところで事態は一変する。
 四月三日夜、橋本派の有力幹部が政治評論家らとの会合で「英語はできるらしいが、手腕に疑問がある」と語り、麻生擁立に反対する姿勢を鮮明にしたからだ。その後批判は、「麻生は総裁としてふさわしくないだけでなく、人間性にも重大な問題がある」と、エスカレートしていく。いったいなぜ強い批判にさらされるのか。当事者の麻生だけでなく、誰もが首を傾げた。
 事の発端はこの一週間前、河野グループの例会で麻生が行った講演だった。この中に有力幹部を誹謗中傷する内容が含まれていたというのである。しかし、実際の講演内容は石炭六法の廃止を迎え、地元福岡の旧産炭地行政の歴史と現状に触れただけで、幹部を誹謗した箇所はどこにもなかった。
 有力幹部はある通信社の宏池会担当記者からこの時の発言メモを入手していた。ところがこのメモは、麻生との後継者争いに敗れて河野グループを離脱したベテラン議員が、麻生憎しででっち上げたものだったことが、後に明らかになっている。
 河野グループの中には、麻生に対して幹部への弁明を進言する議員もいたが、「言ってないものを弁解するのもおかしな話だ」と、麻生は憮然としてこれを拒否している。
 結局、橋本派による麻生擁立はこのデマ情報で立ち消えとなった。麻生の脇の甘さが指摘されるところだ。
 しかしながらこうして振り返ってみると、橋本派町村派に置き換えれば、自民党の総裁選びの構図も、麻生の置かれた立場も、ほとんど変わっていないようにも思える。
 町村派中川秀直元幹事長と町村信孝官房長官が激しく後継争いを繰り広げ、麻生の手勢はいまだにわずか十八人しかいない。
 ちなみにデマ情報を流し、麻生擁立の芽を潰したベテラン議員は町村派に移籍、今や福田首相の側近とも言われている。麻生にとっては皮肉な巡り合わせだ。
 麻生が過去の経験に何を学び、どう活かすのか。すべては麻生の「決断」にかかっている。

 

サンデー毎日 2008年9月14日号 P27*3
野中広務が一刀両断!「身を挺して"麻生首相"を阻止する」
 
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清濁併せのむ、そんなたち振る舞いが局面で重ねてきた政治家――。「影の総理」とも言われたゆえんだろう。だが、「ポスト福田」に麻生太郎幹事長の名前が取りざたされていることに話題が及ぶと柔和な表情が一転、鬼の形相に変わったのだ。
「絶対にダメ!それだけは私が許さない。麻生なんかに総理の座を禅譲したら危ないことを、福田さんはよく知っています。華麗な家庭に育った出自だと思い上がっている麻生の施政が、時に差別発言として、ふと言葉に出るんです。そんな人間に、日本の政治を任せるわけにはいきません」
 麻生氏は過去に、野中氏に関して"重大な差別発言"をしたとされる。それを徹底追及し、身を挺してでも"麻生首相"誕生を阻止する覚悟だというのだ。
「週1回は東京に行って国会議員とも会っていますが、麻生を総理になんて言っている連中はいませんよ。自民党の一部がわざとマスコミにリークしているだけです」
"麻生待望論"を一刀両断。まさに寸鉄人を刺す――老兵はまだまだ死なず、だ。
本誌・山本浩資
ジャーナリスト・山田厚俊

 

週刊朝日 2008年9月26日号 P24*4
総裁選「迷走」の根源 麻生幹事長が恨まれた「野中差別発言」の真相を語る
 
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上杉 現在の麻生優勢の流れでもう一つ気がかりなのは、野中(広務)元幹事長の一連の発言です。野中さんはメディアで、
「麻生は絶対にダメだ。それだけは私が許さない」
 ということを盛んに言っています。あれだけ何度も言われると、さすがにボディーブローのように効いてくる。津島派の面々や古賀(誠)さんにも「反麻生」を訴えて頻繁にコンタクトを取っているようです。
 
鈴木 それは過去のしがらみがあるんですよ。たまたま麻生さんがポロッと口にしたことが、出回ってしまった。それが、野中さんの出自に関する話だった。これに対して野中さんは怒っているのです。
 
上杉 サンデー毎日(9月14日号)のインタビューで野中さんは、「華麗な家庭に育った出自だと思い上がっている麻生の姿勢が、時に差別発言として、ふと言葉に出るんです。そんな人間に、日本の政治を任せるわけにはいきません」とまで言っている。
 
藤本 魚住昭著『野中広務 差別と権力』(講談社)でも触れられていますが、麻生さんが01年、所属していた大勇会(河野グループ)の会合で、「野中のような(被差別)部落出身者を日本の総理にできないわな」と発言したという話です。
 ところが私の取材では、この話はまったく違う。実は、野中さんの麻生さんへの"攻撃"は、森政権の退陣を受けた同年4月の総裁選に端を発しています。橋本派(現・津島派)内部の権力闘争が絡んでいるのです。
 
鈴木 私が聞いたのは、派閥の定例会見後の雑談で、麻生さんがポロッと言ったということ。それを番記者が聞いて、これは言いすぎだとメモを流した。それで、議員会館に「紙」が出回ったんですよ。私のところにも、ポストに入っていました。ほかの議員もみんな知っていることです。
 
藤本 その当時、橋本派内部では総裁選を巡って野中さんを擁立しようという動きがありました。
 結局、野中さんでは派内がまとまらず、告示直前になって橋本(龍太郎)元首相が立つことになったのですが、その過程で「反野中勢力」だった青木(幹雄・前自民党参議院会長)さんと村岡(兼造・元衆議院議員)さんは、当時の森(喜朗)首相と連携して、すでに出馬表明をしていた麻生さんを担ごうとした。
 
鈴木 直前まで橋本さんに決まらなかったのは、私に責任がある。私が最後まで「野中擁立」に頑張ったものだから。
 
藤本 問題の派閥の会合の発言というのは、ちょうど見直し時期で「延長なし」が決まっていた時限立法の「石炭六法」(02年3月までに失効)について、
「石炭六法は終わるけれど、旧産炭地が置かれた状況は変わらない。同和対策や在日朝鮮人の問題など政治的な責任はなくならない」
 という趣旨のことを話したのが発端です。戦後日本の「産業の米」と言われた石炭産業の末端を支えた人たちへの配慮が必要だ――という内容が曲がって伝わった。もちろん、麻生家は炭鉱を経営していたので事情は十分知っている。しかし、反対勢力が「麻生擁立」を封じ込めるために利用したのです。
 その結果、それまで麻生さんを「将来、首相としてなかなかいいんじゃないか」と買っていた野中さんが、この発言で一瞬にして変わるわけです。
 
鈴木 そりゃ「言っていない」ということであれば、また別問題になってくるわなあ。麻生さんも弁明しておけばよかったのに。
 
藤本 私も麻生さんにそう言ったんですが、「しゃべっていないことを弁明する必要はない」というのが彼の論理でした。
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週刊文春 2008年10月2日 P52*5
「アルツ」「朝鮮」「キチガイ水」麻生太郎の失言大全集
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「麻生のスゴいところは、例えば"アルツハイマー"発言が報じられ、周囲がピリピリしていたにもかかわらず、間髪容れずその翌日には"酒は『キチガイ水』だとか何とか皆が言う"と、また差別的用語を持ち出したこと。普通なら、問題意識を持って慎重になるはず。要は、筋金入りなんです」(全国紙政治部デスク)
 とりわけ、最もキワどいと言われている発言はこれだろう・
「01年3月、河野グループ(当時)の会合で、総裁選への出馬が噂されていた野中(広務・元官房長官)を指して"野中のような(被差別)部落出身者を日本の総理にはできないわなあ"と言い放ったと報道されてきました。麻生は否定していて、真相はヤブの中ですが」(同)
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週刊朝日 2008年10月3日号 P92*6
ニュースな本 永江朗
『とんでもない日本』になるのか?
 本稿執筆時点ではまだ確定ではないが、どうやら自民党総裁=首相は麻生太郎ということになりそうだ。それでいいのか?
 かつて魚住昭野中広務 差別と権力』の親本が出版されたとき、私はある書評で、これで麻生首相の可能性はなくなった、と書いた。自分の予知能力のなさには呆れる(もともとあると思っていなかったけれども)。
 なぜ麻生首相の可能性はないと思ったのか。それは本書の次の記述を読んだからだ。<自民党代議士の証言によると、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、
「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」
と言い放った。
麻生事務所は「地元・福岡の炭鉱にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」と弁明しているが、後に詳しく紹介する野中発言によると、大勇会の議員三人が麻生の差別発言を聞いたと証言しているという>(文庫版三八五ページ)
 ここでいう総裁選は、二○○一年のもの。えひめ丸事件への対応をめぐってただでさえ評判の悪かった森喜朗首相が世間の非難を浴び、党の内外から退陣論をつきつけられて前倒しされたものだ(その森がいまやちょっとしたキングメーカー気取りなのだから、笑いすぎて腹の皮がよじれそうだ)。
 本書は単行本から文庫になり、何度も増刷されている。その間、訂正はない。麻生発言は事実と見ていいだろう。
 その軽薄な物言いをチャームポイントのごとくいう向きがあるが、麻生の部落差別発言は軽薄というよりも彼の人間性の深いところに根ざしたものだ。本書およびこの発言は、単行本発売当時もずいぶん話題になった。自民党の議員たちだって知らないはずはない。それでも彼らは麻生太郎を総裁に選ぶのか。
とてつもない日本』は『とんでもない日本』のマチガイである。

  

週刊ポスト 2008年10月3日号 P26-28*7
麻生太郎の「部落差別発言」「朝鮮半島出身者強制労働」という問われる過去
  
7年前に総理を逃した"問題発言"
 一国の総理ともなれば、人々を公平に見る精神が求められる。それがなければ、弱者へのいたわりの視線は"権力者の施し" となり、国民からも外交でも傲慢不遜さを見透かされる。
 麻生太郎氏が初めて総理・総裁の座に挑んだ01年春の自民党総裁選で発言したと伝えられる"差別発言"問題は、麻生氏の総理の資質に強い疑念を抱かせる。
 野中広務・元官房長官は08年1月18日、「自民同和会京都府本部新春懇親会」でこう祝辞を述べたと同会の機関誌にある。<麻生太郎君が総裁選挙の際に、自分のグループに向かって「おい!野中だけは総理大臣にはさせられないぞ!部落出身のあんなやつに日本の総理をやらせるかい!」と、こう発言され、この中におられた方が「聞き捨てならん話だ」と言って、私に通告をしてくれました>(自由同和京都版・08年1月10日発行)
 野中氏は被差別部落への差別問題にも踏み込んで発言してきた政治家として知られる。01年当時は森喜朗・首相の退陣表明を受け、最大派閥だった橋本派の中には後継総裁に麻生氏を推す声と、野中氏擁立論があった。野中氏はこの「麻生発言」の後に出馬を固辞し、麻生氏への支持にも猛反対して故・橋本龍太郎氏を立てた。その結果、総裁選では小泉純一郎氏が旋風を起こして橋本氏も麻生氏も敗れた。
「もし、あの一連の出来事がなくて橋本派が麻生氏を担いでいたら、7年前に麻生政権ができていたかもしれない」
 自民党内にはそう振り返る議員が少なくない。
 今、総理・総裁の座を目前にして、「麻生さんが一番恐れているのは野中さんだ」(麻生氏側近)といわれるのも、麻生氏にとって、7年間の回り道を強いられたことが痛恨の出来事だったからではないか。
 しかし、一方の野中氏はいわれなき差別に苦しむ人たちのために激怒していた。『野中広務 差別と権力』(講談社文庫)の著者でジャーナリストの魚住昭氏は、
「野中さんは部落差別と闘いながら、壁を乗り越えて政界を上り詰めた人物。彼の政治家人生の土壇場で出た麻生発言への怒りは平々凡々と育ってきた人間にはわからない」
 と、野中氏の心情を代弁する。
 それから2年半後、政界引退を表明した野中氏は、03年9月21日の自民党総務会で麻生氏の前で激昂したという。魚住氏によれば、その時の野中氏の発言は次のようなものだった。
「あなたは大勇会(旧河野グループ)の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわな』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中氏の怒りの深さは、今年8月24日放映のTBS番組『時事放談』での次の言葉からもうかがえる。
「私は、私個人のことについてもですね。麻生総理総裁ができたらね、自分の生命にかけて、国民にわかるようにしますよ」――。
 本誌は「ニッポンと部落差別」をテーマに、部落解放同盟中央本部中央執行委員長の組坂繁之氏のインタビューを行うなど、現在もこの国に残るいわれなき差別の現実について問題提起してきた。自民党総裁選で麻生氏が権力の座に近づいた今だからこそ、差別発言の真偽と、この7年間、麻生氏が野中氏や差別問題にどう向かいあってきたのかが改めて問われている。
 
「議員の資格なし」の声も
 本誌は01年の総裁選当時、大勇会のA議員から"麻生発言"をめぐる混乱の顛末について証言を得ていた。
 A議員によれば、麻生発言がなされたとされる大勇会の会合の翌日、麻生氏側近のB議員が自民党幹事長室に呼ばれたという。
「そこには険しい表情をした野中氏が待っていて、前日の会合の議事録のようなメモを突きつけ、『麻生が何をいったか全部わかっている。オレは絶対に許さない』と通告した。B議員は真っ青になって派閥に戻り、経緯を報告した」
 という内容だった。野中氏の当時の側近の一人、鈴木宗男氏も、「麻生さんが派閥の定例会議の雑談でそのような話をしたと書かれたメモが議員会館のポストに入っていた」と、議事録メモの存在を認める。
 B議員に改めて、事の真相を質した。
「あの時は橋本派の議員から私に連絡があり、『何をヘマやったんだ。麻生さんは野中先生を激怒させる差別発言をしたそうじゃないか』といわれた。それから橋本派で潮が引くように応援がなくなった。しかし、会合ではそんな発言は出なかったし、私が野中さんに呼ばれたというのも事実ではない」
 一方でメモに関してはこういう。
「九州の人たちは、軽い気持ちでその種の話題をいうことがある。それまでの何かの席で、その種の話題に触れたことが変に伝わったのではないか」
 麻生氏が他の席で問題発言をしていた可能性を否定しない言い方だった。
 では、この問題について当の麻生氏はどんな対応をしてきたか。
 05年2月22日の衆院総務委員会で民主党中村哲治・代議士(現・参院議員)が魚住氏の著書の記述を基に真偽を質し、総務相だった麻生氏はこう答弁した。
 まず自らの"差別発言"について、
大勇会の席でその種の発言をしたことはない」
 と否定したうえで、総務会での野中発言があったことを認めてこう説明した。
「(野中氏から)発言があったことは総務会におりましたのでよく知っておりますが、(私が大勇会で)その種の発言をしたということは全くありませんし、それを証言したという議員の方々がどなたかも前に一度伺ったことがあるんですけれども、みんなきょとんとしているような雰囲気でしたので、事実と違うと思っております」
 野中氏の怒りは誤解に基づくものだというのである。
 そうであれば、野中氏が「生命を賭けて国民にわかるようにする」と麻生氏の人間性を問いかけているのだから、麻生氏もそれこそ命がけで誤解を解くのが政治家としての責務ではないだろうか。
 しかし、麻生事務所では、
「総務委員会での麻生の答弁がすべてです」と回答するばかりなのだ。
 全国地域人権運動総連合は麻生氏に対し、04年9月16日に大勇会での発言について事実確認などの質問をしているが、納得のいく回答は得られていないという。
「私たちは麻生氏の発言は否定し得ない事実であったと受け止めている。04年の段階で国会議員としての資格無し、と既に判断している」(新井直樹・事務局長)
 一方の野中氏を自宅前で直撃すると、「いうことはない」と立ち止まることはなかった。
 前出・魚住氏は野中氏の沈黙をこう見ている。
「"麻生はダメだ"という気持ちが強くても、総裁選さなかに麻生発言を装てんにすると差別撤廃に逆効果になると考えて今は何もいえないのではないか」
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*1:週刊現代参照用

*2:週刊文春参照用

*3:サンデー毎日参照用

*4:週刊朝日参照用

*5:週刊文春参照用

*6:週刊朝日参照用

*7:週刊ポスト参照用