教育改革と日本の進路

Jodorowsky2008-11-22

 
ここ最近の麻生内閣の支持率ですが、調査機関によってかなりバラついてます。
 11/10 NHK  49%  40%
 11/14 時事 38.8% 36.5%
 11/16 フジ 32.6% 58.4%
 11/17 ANN  29.6% 46.8%

調査方法の違いや、調査時期と発表時期のタイムラグ等々あるとは思うのですが、
ここまで違うのもなんか不思議な気がします。
この土日にも新しい世論調査が発表されるかも知れないので注目したいと思います。
 
とりあえず支持率が低下してると仮定して、その原因を考えてみると、
定額給付金のドタバタ劇も酷いと思いましたが、同じタイミングで消費税アップに言及したことも、やはり支持率に影響を与えてるかと思います*1。そういう意味で、この動画は踏むことを義務付けられた地雷になっちゃいましたね。
学力問題に関しては、保守系週刊文春週刊新潮の両誌が完全にバカにした論調になってるのにビックリしました。タカ派で新潮に見捨てられたら終わりって感じもします。
 
ということで(?)、平成14年11月18日に開かれた日本会議設立5周年記念大会において、麻生さんが教育について言及している記念講演の内容*2をコピっときます。

教育改革と日本の進路
麻生太郎 日本会議国会議員懇談会会長・自由民主党政務調査会会長
 
○「戦後」を越える言葉を
 日本が大東亜戦争に敗北した後、独立を勝ち得たのが昭和二十七年四月二十八日です。折しも本年で五十年を迎えます。この五十年を振り返るとき、価値観も生活環境も、日本の地位や経済力についても五十年前には誰も予想できなかったほど大きく変化しました。そろそろ我々は「戦後」という言葉を越えねばなら時期に来ているのではないでしょうか。
 戦前、戦中を微かに記憶している世代は、戦後と言えば一九四五年の当時を思い出されるかもしれません。しかし今の学生に戦後と問えば、湾岸戦争、或いはベトナム戦争という感覚です。五十年経った今、昔のままのイメージをもって若者に話をしても説得力を持ちません。歴史を知っていても、それを若者に理解させるにはかなりの技術と忍耐が必要なのです。
 今年の四月二十八二日に、私はわが子を連れて靖国神社に行きました。高校生の子供は、なぜ連れて来られたのかを全く理解していませんでした。五十年前に日本が独立した日だからと言って連れて行ったのですが、独立したという意味も正しく理解している様子はありませんでした。これが現実です。この五十年間、私どもは新しく得たものもあるが、失ったものもまた多い。それをもう一度、見直す時期になっています。
 
教育基本法は不磨の大典ではない
 憲法については、中山太郎先生にご努力を頂き、国会の中に憲法調査会ができ議論できるようになりました。我が国においては、明治十二年ごろ、近代日本として初めて成文憲法が話題となり、それを作る為に『国憲起草の勅語』が出されます。それを受けて伊藤博文公が渡米し、その結果「日本においては成文憲法はできない。何故なら我が国には欧米のように、憲法を道徳的に支えるキリスト教のようなものがない」と答申しました。大きな転機があったと思いますが、五箇条の御誓文の原文を起草した由利公正は「日本には確かにキリスト教的なものはないが、それに代わる皇室がある」と主張しました。そして発布されたのが教育勅語であります。特にその一番最後の部分が大事です。「拳拳服懲シテ咸其紱ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と書かれています。天皇陛下が命令された訳ではありません。天皇陛下も国民と共に道徳心を一つにすることを請い願ったと、教育勅語には書かれているのです。ここが取り上げられないのが問題です。教育勅語が戦後GHQの占領中に破棄された後に、それに代わって十一ヵ条からなる教育基本法が作られたのはご存じの通りです。
 しかし教育基本法は、別に日本ではなくてもアフガニスタンでも、ボツワナでも、中国でもどこでも使えるようになっている。もう一度、教育基本法は、教育勅語に代わるものとしてできたという経緯を思い出していただきたい。
 憲法については改憲か護憲かと、非建設的な話が続いた時代を終えて、国会において議論が出来るようになりました。この数年間の大きな変化です。憲法が議論できるのであれば、それを支柱としている教育基本法も同じように議論となるべきです。これがいま私どもが教育基本法の改正を申し上げている背景です。また教育基本法中央教育審議会で取り上げられ、議題に上がるようになったということだけでも、以前より前進しています。これは日本会議を始め多くの方々の努力のお陰です。教育基本法憲法と同じく不磨の大典ではないのです。時代に合わなければ合うように変える。そのような態度が成熟した政治だと確信しております。今日も、多くの方々に集まっていただきましたが、皆様の意見を支持する世論も間違いなく広がっています。これが前進している一番大きな理由です。我々は勇気をもって思うところを堂々と言うべき時期に来ていることを確信しております。
 
アイデンティティーを問うとき
 日本は戦後の国家目標であった「経済再生」「経済復興」などの国家目標を達成しました。それ以後、国民が共有できる国家目標が今は存在していないことは最大の問題です。「誇れる故国を再興する」ということや、また「戦後を超越する」ということも大事な国家目標になるかもしれません。日露戦争の当時には「ロシアの植民地になるものか」という国家の意思がはっきりしていて、それに合わせて「富国強兵、殖産興業」と国家目標が極めて明確でした。戦後は疲弊した経済を立て直すべく、「経済復興」一本に絞ってきました。しかし我々はその目標に集中していた間に、蔑ろにしてしまっていた国防、教育、道徳といったものに改めて目を向けなければなりません。それはこの国にいま生きている我々から、次の世代に果たしていく大事な責任であります。
 国際社会が変動する中で、国の大事さが改めて見直され、地球規模の環境問題ですらその調整は全て国家単位になっています。即ち国というものの必要性、重要性が身近に感じられるようになりました。グローバルと言えば言うほど、地域、宗教、国家、民族といったものが再び評価されるようになっています。私ども一人一人が改めて日本人として、アイデンティティーを自分自身に問う時期を迎えています。
 
○次代の若者に贈る日本とは
 現在、戦後初めてのデフレの下で不況を被っております。デフレ不況は戦後六十年間に、まだ一回も経験したことがありません。それ故、対応に右往左往して自信を失っております。しかし、最も大事なことはそれを支えている我々「日本人」をもう一回考え直すことです。そこそこの金があり、繁栄した生活の中に生きているが、これが果たして未来永劫まで続くのか。この十年は、今までとは違うものが確実に起きてきている。繁栄した国家として、次の日本を担う若者に対してどういう日本を贈ることが出来るのか。この点を皆さんと共に幅広く議論していきたいと思います。老後はあの国で過ごしたいと、外国人にも思われるような国が、良い国であると思います。繁栄していて、治安も良い。優れた条件がいまの我々には与えられている。しかし一方で、その日に口にする米もないような人たちが世界には大勢いる。我々はそれらの人々に思いを馳せることのできる国でありたいと思う。そして五十年間かかって国がおかしくなったのなら、五十年かけて直して行く気持と、真摯な努力が求められていることを理解頂き、お力添えをお願い申し上げます。

講演で聴く分にはいいのかも知れませんが、文章にされたものを読むと、あまりの中身の無さに退屈さすら感じますね。
 

*1:個人的に消費税アップはやむを得ないとは思うけど

*2:日本の息吹 平成15年1月号