強い日本を!私の国家再建計画

Jodorowsky2008-12-23

 
数ヶ月前に民主党議員と無所属議員により改革クラブが発足されたとき。
その仕掛け人と目された麻生現総理は
「1年くらいたってから『あのとき歴史は動いた』となるんじゃないか」と語り、ニヤリと笑った。
そうである。確かにたった数ヶ月前に発せられた発言や論文でも、改めて読んでみると、その重要性や真の狙いや新たな意味に気づかされることがあります。そして、それとは逆にその狙いとのズレっぷりというか、先見の明の無さっぷりに戦慄すら覚えることもありますね。
そういう意味(?)では、麻生総理が文藝春秋11月号に発表した表題の論文*1は、まさに後者の意味では金字塔を打ち建てたと言っても良いかも知れません(適当)。
つーことで、勝手に使命感を感じてコピってみました。クソ長いので読みたい人だけどうぞ。
 
文藝春秋』2008年11月号 P94-105

 
強い日本を!私の国家再建計画
小沢代表よ、正々堂々と勝負しよう。私は絶対に逃げない
麻生太郎(内閣総理大臣)
 
 総理大臣になるというのは、かくも重く厳しい、重圧感を負わされるものなのか。
 九月二二日、自民党本部八階で開かれた両議院総会で総裁選での勝利が確定した瞬間、同志たちの拍手と歓声を耳にしつつも、私には正直、達成感や喜びはさほどなかった。七割に及ばんとする三五一の票は望外であり、就中、地方の一四一のうち一三四の票を頂いたのは私の宝だと思ったが、私のこの勝利は所詮準決勝でしかない。
 決勝戦たる総選挙で勝ち、国民の信を背に、強く明るい政治を早く日本に取り戻さなければならない。私は、冷え冷えするような緊張と責任が、しかし続いて熱い闘争心がふつふつと沸き起こってくるのを感じた。
 まさに自民党の危機であり、いやそれよりも、日本の政党政治と世界経済の危機なのである。私の祖父・吉田茂はもちろん、日米安保の騒乱に向き合った岸信介も、所得倍増計画を世に問うた池田勇人も、あるいは先に衆参ねじれの危機に立ち向かった安倍晋三福田康夫の両首相も、日本の舵取りを誤るわけにはいかないという深い重圧と共にその政権をスタートさせたのだろう。その重さ怖さを私も初めて味わった。ここで我々自民党が危機から逃げ、あるいは唯々諾々と政権を手放し、国の舵取りを過つことになりでもすれば、先人たちに逢わせる顔がない。
 グルジア紛争はじめ国際社会は地域紛争の荒波にかき乱され、サブプライムローン問題とリーマン・ブラザースの破綻を契機に世界同時不況が叫ばれる。まさに世界規模の危機がひたひたと近づかんとするいま、日本の政党政治は衆参ねじれという私に言わせれば小さな危機の前に竦み、国民・有権者が真に願う必要な政策と外交方針の実行、強い政治の復権への道を見いだせないで居る。「JAPAiN」とまで揶揄される国際社会での日本の存在感の低下は、国家に対する国民の信頼感を完膚無きまでに痛めつつあるのではないか。
 いまこそプロの政治家の出番である。国内の反対勢力を粘り強く説得する政治力、世界各国の首脳と渡り合う交渉術が今ほど必要とされる時代はない。伊達に四度も総裁選に挑戦してはいない。難局になればなるほど、反骨心と闘争心、そして楽観主義が湧き出てくるのが私の性格である。
 もちろん度重なる霞が関の不祥事や、衆参ねじれの壁を突破仕切れないできた政権党の責任は痛感している。ただ、いま一度、国民・有権者の審判を仰ぎたい。ここで私が、日本経済を再生し改革を続行するアクション・プログラムの見取り図と、それを力強く実現する手立ての両方を国民・有権者の皆さんに提起するのは畢竟、そのためである。私の内閣をみて、私の政権公約をみて、私が語る政党間協議の新しいシステムを聞いて、民主党小沢一郎代表と比べてほしい。自公政権批判に奔走し政権交代のみを訴える彼と、国民の幸せな暮らしと未来、国際協調への具体的な方策を示す私との違いをみてほしい。
 いよいよ、私が見定めてきた「真正保守再生」の幕開けの秋がきたと感じる。歴史の教訓から学び、破壊より建設を、混乱より安定を追い求めるのが真正保守の真髄である。日米安保改定や消費税導入をはじめ、真に必要な施策なら断固実現し、そして経済成長と同時に平等を、日米関係を中心にした国際協調と平和とをもたらしたのが戦後保守の本領ではないか。対決と破壊を志向したかつての革新とは違う。選挙に勝つためには自分の政治信条すら変転させ、政権交代だけ実現すれば事足れりといった小沢一郎氏とはさらに違う。ここで我々が真正保守の核を結晶させれば、平沼赳夫氏ら今は不幸にも党外にある多くの有志もこの輪に加われるはずだ。
 
今こそ国民に信を問う
 
 私は決断した。本来なら内政外交の諸課題にある程度目鼻を付け、私の持論である政党間協議の努力も尽くした上で国民の信を問うべきかもしれない。だが、最低限必要な経済対策も、国際協調上当然のテロ撲滅の施策すら、民主党はじめ野党は、聞く耳をもたぬ、ただ政局優先の姿勢なのである。国会の冒頭、堂々と私とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う。
 なぜなら、国民の声に耳をすますとき、私にはこんな悲鳴のような訴えが聞こえてくるからだ。大きな政治に立ち戻れ、対決を合意へと転化せよ、時宜にあった施策を迅速に実現せよ――。負の連鎖の政治をいよいよもって断ち切るラストチャンスがこの総選挙だ。そうでなければ、日本の政党政治は再び「失われた十年」という無駄な回り道を余議なくされてしまう。強い政治を取り戻す発射台としてまず国民の審判を仰ぐのが最初の使命だと思う。
 小沢代表よ、堂々の戦いをしようではないか。公約の正しさを二大政党が正面から競い、選挙後に国会で知恵を集約して国民的な政策合意を達成すること、言い換えれば政党政治と日本社会の再生を目指すことこそ、我々政治家に今日課せられた最大の共通の責務なのだから。
 思えばいつの時代も、わが日本には、危機を好機と思い跳躍台とする強靭と、私と楽観を忘れない明朗の両方があった。これはその歴史を踏まえた上での私の日本再建宣言である。
 
「政権禅譲密約」の真相
 
 それにしても今日振り返れば、福田康夫前首相は、劣悪な政治情勢のなかで、ぎりぎり日本と自民党がとるべき最善の道を模索され続けたのだと思う。
 薬害肝炎問題から日銀総裁人事にかけて、折に触れて私も一自民党国会議員として福田首相に合アドバイスもし意見も交換してきたが、昨秋の大連立構想挫折後の小沢民主党の「まず政局ありき」「何でも反対」の大人げない姿勢に首相は深く絶望されていた。それでも道路特定財源一般財源化や消費者庁の創設はじめ、首相の言う「静かなる革命」の実現に最後の努力を傾注されるのだと拝察していた。
 だから内閣改造の直前、これは電話で話もし、首相官邸で面談した際にも首相に言ったのだが、その努力に私も全面的に協力する、ただ、総理が総選挙を断行されるのであれば、私よりもっと総理の意を体し、思想・信条が同じ政治家を幹事長に就けるべきだと私なりの思いを伝えさせていただいた。
 だが私が驚いたのは、福田首相の恬淡とした答えである。総選挙断行よりも前に大事なことがある、政策の実現に向けた政党間協議の実行と来る総選挙の準備の二点をこの麻生に任せるとまで明言されたのを聞き、私は正直、そこまで望まれて、自民党の危機に際して逃げるわけにはいかないと判断したのだった。
 首相交代の密約など、首相の座の重さを知らぬ政局政治家たちがささやく、ためにする議論である。私はともかく福田首相に対する侮辱ではないか。だからこそ、あの九月一日、首相官邸の執務室に呼び込まれ、細かく政治日程が書き込まれたスケジュール表を見せられ、この日程で総選挙を断行してほしいと言い渡されたとき、私はとても留意など出来ない、恐らく首相は自分を犠牲にして自民党が総選挙に勝利する千載一遇の道を用意されたのだと理解したのである。
 その夜、私は多くの自民党幹部たちから激励の電話を受けた。派閥の領袖クラスを含めて、総裁選での支持を確約してくれる電話もあった。だが私は同志たちに、派閥単位の支持は私から頼まない、公約を掲げて正々堂々の戦いをしたい、あえて修羅の道を歩むのだと宣言した。ただ首相になりたいだけであれば、派閥連合がこぞって推す状況が有り難いかもしれぬ。だが過去三回の総裁選で私が戦ったのはまさにその派閥連合であり、何よりそんな古い政治を繰り返せば来る総選挙での惨敗は明々白々である。
 やはりと思いさすがと思ったのは、森喜朗元首相が伝言だと言って伝えてくれた小泉純一郎元首相の言葉だった。正々堂々の激しい総裁選をやれ、それしか小沢民主党に勝つ道はない、と小泉氏は忠告してきてくれたのである。森氏ら最大派閥の町村派が派閥で麻生支持とせず、自主投票にしたと聞いて、これこそ最大の私への応援だと思った。
 友の心は友のみぞ知る。事前に相談などなかったが、先に小沢民主党に対して大人の政治に戻れとの共同提言をまとめた与謝野馨経済財政担当相が立候補すると聞き、私はさすが与謝野さんだ、これで良い総裁選になると確信した。小事の対決を繰り返す小さな政治から真の国家的課題に立ち向かう大きな政治に立ち返ろうという点で志を同じゅうする盟友との論争はまさに本望だったからだ。事実、彼が唱えた財政再建論や消費税をはじめとする税制の抜本改革論は、中長期の課題として、私と自民党政権公約を研磨する上で大事な提言となったのである。
 加えて私がひそかに次の自民党のリーダー候補と期待していた石破茂元防衛相や石原伸晃政調会長も立ち、私が政策論争を勝ち抜く上で必須の相手とも言えた小池百合子元防衛相も正面から戦いを挑んできた。
 国のリーダーを直接選ぶ米国などとは違い、議員内閣制の我が日本にとって、一政党のリーダー選びとはいえ、自民党総裁選はリーダー候補が自らの政策と政治力を磨き、民意に認知されるまたとない機会である。党内に亀裂が入るのを恐れて代表選を無風にした民主党の判断は責任政党として私など理解できない選択だったが、実際に全国各地を街頭演説で飛び回った私たちは民意が示す方向を確認することとなった。
 真剣なまなざしで我々を見つめる国民の目である。正直言って二○○五年の郵政総選挙時の小泉ブームのような沸き立つような温かい目ではない。ただし、○七年の参院選のような聞く耳もたぬといった冷たさではなかった。早く衆参ねじれの危機を解決して強い政治に立ち戻れと希求する叱咤激励の視線だと私は思った。
 
日本経済「全治三年」の真意
 
それは、福田政権誕生とともに無役となった私が、小樽から指宿まで全国一六○ヵ所強の地方遊説を重ねるうちに体得した民意への信頼を再確認する道程でもあった。
 地方には、国や行政に陳情するでもなく、地道に働く人々や企業、自治体の姿があった。シャッター商店街と言われるなかで、地方活性化のアイディアを私にぶつけてくる商店主、企業人もいた。ずさんな年金管理や後期高齢者医療制度問題に怒りを爆発させつつも、国と地方の経済再生に向けて政治家の奮起を促す声もあった。
 私が今回の自分の政権公約の冒頭で「全治三年」の景気回復期の必要性を提言したのは、そうした人々への回答なのである。最初に景気対策、次に財政再建、そして改革による経済成長と三段階の日本経済再建の青写真を私は提起するが、まず国民の暮らしに安心をもたらし、日本経済の体力を回復させる「全治三年」がそのスタートなのだ。
 既に私の手には「安心実現のための緊急総合対策」がある。今年度中に定額減税を実現する。中小企業への資金繰りを拡大し、住宅ローン減税を延長・拡充し、食料自給率五○%への工程表も作る。高速道路料金を引き下げ、老齢福祉年金の受給者らへの臨時福祉特別給付金の支給も検討する。いずれも一過性の安心のためではない。現在と将来の生活に安心感を与え、働く人々と企業が経済成長に向けて明るく踏み出すための第一歩なのである。民主党の各公約と比べてどちらがバラマキか、未来への投資となる種蒔きか、をぜひ見比べてほしい。
 確かに、経済改革の続行も、消費税を活用した年金制度の抜本改革も、日本再生のために必要な政策である。だが、その大手術を行う前に、日本経済そのものが耐久力を失っては元も子もない。大手術は手段であって目的ではない。いわば体力の回復と、その後の大手術を地続きで行う大きな見取り図を示すことこそが国のトップリーダーの最大の責務だと私は考えた。
 もちろん、小泉純一郎首相が進めた日本経済の構造改革は、政党に歴史の評価を受けるべき業績である。古い政官業の癒着を断ち切る政策群はある時期日本がクリアせねばならぬ道程であったのだ。危機に瀕した自民党を救った中興の祖であることも論をまたない。
 だが、改革の良い面は継続し、悪い面は是正していくのが小泉氏の後を継ぐ我々政治家の務めなのである。特に日本経済が大切にすべき「もの作り」の精神より過度の競争原理に基づく「金儲け」万能主義がはびこり、同時に、国民に格差感や将来の不安感を生じせしめ、次の時代を担う若者たち、あるいは長く日本を支えてきたお年寄りが孤立感を深めつつある。そんな分裂した日本社会のままであってはならない。しかも、そうした改革の負の面の是正へ与野党が手を携えて立ち向かわなければならないのに、衆参ねじれの下で機敏な対応が損なわれた結果、デフレ脱却の寸前まで達していた日本経済が残念ながら後退してしまった。いまこここそ政治の勘所、国の経済政策と路線を整理し直すべき分岐点なのだ。
失われた十年」を再現させてはならない。バブル崩壊後の九三年、本来ならば何より与野党は経済再生策に知恵を絞らねばならなかった。しかし、永田町は政治改革政局に身を窶し、日本経済の崩落を水際で止めることが出来なかった。その後、国民の努力で景気は回復の兆しをみせたが、橋本政権下で消費税アップなど九兆円の国民負担増を先行させ、回復の芽を摘んでしまった。そして九八年の自民党総裁選で私は、不良債権処理を旗印にした故梶山静六氏を首相にすべく奮闘したが、あえなく敗れた。代わりに登場した小渕政権の景気回復策は必要なことであったが、不良債権処理という大手術が遅れ、失われた十年を存続せしめたのである。
 あるときは権力闘争に気をとられ、あるときは単発でその場凌ぎの施策に頼ったことで、国民からすれば、どこまで改革に耐えればいいのか、どこまで我慢すれば再生の道が開けるかが見通せない、不安な政治を生んでしまった。その愚を私は繰り返さない。たった三年で、日本は脱皮できる。三年間だけ景気回復に向けて国が責任をもってあらゆる手段を講じれば、日本の未来に対する投資である社会保障の整備も経済構造の改革も断行できる。新たな産業と技術を開拓し、新しい雇用を創り出してきたのが明治以来の日本経済の王道であった。その見取り図を今次総選挙で私は国民の審判にゆだねたいのである。
 言うまでもなく「全治三年」とは、あの第一次石油ショック後の狂乱物価の危機に際し、蔵相に就いた故福田赳夫氏が掲げた標語である。時の総理大臣は「角福戦争」のまさに相手方の故田中角栄氏であった。
 蔵相を要請された福田氏は、狂乱物価の主原因を田中首相にただす。石油ショックだと言った首相に、福田氏はいいやあなたの列島改造論だ、その旗を降ろせと迫る。その日は即答を避けた首相だったが、翌朝、再び福田氏に会談を求め、恬淡と、旗は降ろす、経済政策はすべてあなたに任せる、と明言したのだった。
 当時私は生家のセメント会社の経営者として原材料費や人件費の沸騰に苦しみつつも、新規の設備投資に踏み切ったばかりだった。周囲は反対意見ばかりだったが、苦しい時代だからこその先行投資だと決断した。そんな私たち若き経営者に、福田蔵相の力強い「全治三年」の標語はまさに力水のように聞こえたのである。福田氏も後に回顧して、全治三年と見通しを示せば優秀なる日本国民は必ず結果を出す、事実その通りになって日本は第二次石油ショックを諸外国と比べて遥かに容易に凌ぐことができたと語った。己の経験を踏まえて私は断言できる。自民党内で激しい権力闘争を繰り広げつつも、国家の危機では大同団結する。国民を信頼し、大きな見取り図を示す。それが私の信じる真正保守の知恵であり良さであり、大きな政治の真骨頂なのだ。今日の政党政治に向け、私が「全治三年」の故事をあえて再使用するのは、その思いからである。
 
政党間協議に新しいルールを
 
 もとより、今次総選挙はわが自民党にとって、かつてない茨の道である。年金記録問題を中心に先の参院選有権者から厳しい審判を下され、結果生じた衆参ねじれ国会のもと、政策に誤りはなかったと信じるが、安倍、福田二代の政権とも民主党はじめ野党が立ち塞がる参院の壁を突破できず、志半ばで倒れた。
 今次総選挙で国民・有権者が息を潜めて見守っているのは、政策の正しさだけではないのではないか。その政策を実現する手だて、時間をかけてでも相手を説得し合意を勝ち取る手法、つまり政策マニフェストだけでなく、いわば実行方法のマニフェストをも希求しているのだと思う。
 他方、ずさんな年金記録問題から今回の汚染米事件まで、霞が関に対する国民の信頼は地に落ちた。確かに霞が関のこのていたらくは極めて深刻である。だが私は官僚のみを悪者にして政治家が良い子ぶるような選挙目当ての小戦術はとらない。なんとなれば、国家の公僕たる公共精神を官僚たちが失ったことには政権党たる自民党がその監督責任を問われるのは当然であり、それから逃げずに霞が関を再生させるのもまた、行政の長たる私の責任であると確信するからだ、後期高齢者医療制度についても、徒に国民の不安を助長させた責任を痛感する。しかし、朝令暮改で制度を廃止してしまうより、ここは慎重に検討し直し、二度と誤解を受けないための必要な改革を施すことが私の責任だと思う。
 そして、「全治三年」の諸政策の実行は、かつての高度経済成長や石油ショック後対策を担った先輩官僚たちの業績に比すべき、やりがいのある仕事ではないか。まさにプロの職能集団が私のめざす新時代の行政である。
 王道こそ私の本望である。危機には正面突破が何より近道である。まず私は、自分のチームたる内閣を仕事ができる組織に作り替える。英国や豪州に先行例があるが、どんな施策も閣議や関係閣僚会議で決める慣習を見直し、例えば大きな経済政策の路線は私と問題意識を共有する与謝野馨氏に思い切って最終決定権を任せるといった責任閣僚制を導入するつもりだ。
 その意味では、戦前の内閣書記官長以来の慣習として官房長官に任せていた組閣名簿の発表も総理大臣たる私が自ら行う。個々の閣僚に負わせるミッションの権限と責任をその場で国民に明示したい。何がやりたいのかわからない、誰が決めているのかわからない、そういった近年の内閣につきまとった国民の不信感を払拭する。マスコミ受けのするサプライズ人事などは私の主義ではない。
 そして総選挙で勝利した暁には、新たな政党間協議のルールを定着させる。わが政権の責任閣僚と、例えば民主党の「次の内閣」の担当閣僚が適宜、政策・法案調整を行うシステムである。期限切れまで実効性のある調整ができず、ぎりぎりで党首・代表のトップ会談で一か八かの選択を強いられるという、昨秋の大連立かイラク特措法の廃案か、といったゼロサムの選択しかないような事態が再び起こるのであれば、迷惑するのは国民である。そんな刹那的な物事の決め方をしている組織などありはしない。日本の議会もまた、民間企業の常識に合わせて効率的な意思決定ができる組織へと変貌すべきなのだ。
 もちろん、総選挙で勝利しても、茨の道は続くだろう。例えばこう言う人がいる。自公政権衆院選で勝っても、参院ではなお民主党など野党が多数ではないか、結局は衆参ねじれの混乱が続くだけではないか、と。
 だが私はこう言いたい。そうしたシニカルな言説は、諸外国の好例を知らず、国民・有権者を愚弄する悲観論に過ぎない、と。上下両院で多数派が食い違う現象は先進国ではよくあることであり、だからこそ、選挙で各党が公約を国民に誓い合い、勝利した側の政党がその直近の民意を背景に政党間協議を主導するのだ。ようやく日本の政党政治グローバル・スタンダードなものに進化させるチャンスだと私はわくわくしてくるほどだ。何をさておいても、従うべきは国民の信なのである。それでなければ、政権公約もただの紙切れであり、国民・有権者の投票は死に票になってしまうではないか。
 あるいは、こう言う人もいる。自公で過半数を維持しても、三分の二の勢力を失えば、参院否決後に再議決で法案を成立させる手だてがなくなってしまうではないか、と。
 それもまた、歴史を知らぬ者の悲観論で。かつて大正期に政党政治の定着に邁進した原敬首相は、衆院では与党政友会が多数だったものの、貴族院は元老・山形有朋系官僚OBを中心に非政党勢力が多数を占めていた。だが原首相は時には妥協し、時には持論を推し進め、第一次世界大戦後の戦後経営策を実現させ、最後は貴衆縦断策を成功させたのである。
 それに第一、我々は高い代償を払いつつ、衆参ねじれの国会の明と暗を経験したではないか。薬害肝炎対策や被災者支援法、公務員改革では与野党の知恵を結集し、霞が関の常識を覆す施策を実現できた。他方、日銀総裁人事は不幸なケースだった。与野党が不毛な対決を続けて答えが出せない現象が続けば、国民の怒りはどれほどだろう。仮に三分の二を失っても、私は何も恐れはしない。国民の信が私の背に有れば、粘り強く野党を説得し、答えの出せない不毛な対決に終止符を打てると信じている。
 さらに、こうも言う人がいる。自公と民主で僅差の結果であれば、政権の安定のため大連立を志向するべきだ、あるいは政界再編で多数派を形成するべきだ、と。
 それも私のとる道ではない。小選挙区で己の正しさを競い合った党同士が国民・有権者の投票とは別のところで合従連衡したり、離合集散を行うのは、政党政治のためにもよくない。もちろん選挙後の連立協議で小党との連携が模索される可能性は否定しないが、そうした連立政権構想は投票前に国民の目の前に具体の姿として供されるべきであって、こと二大政党については、一足飛びに政権を同じゅうする大連立ありきの発想は邪道だろう。まずは政策や法案で合意をめざす、いわば「国会連合」を真摯に追求するのが王道である。
 
小沢代表との一騎討ちを望む
 
 何にせよ、今次総選挙が政権を賭けた民主党との乾坤一擲の戦いなのは言うまでもない。ただし、それを政権交代の是非のみを争点とした戦いにするのは単純に過ぎる。真の争点は、国民の現在と未来の暮らしをどう万全なものとするか、大きな経済政策・路線のアクション・プログラムの競い合いでなければならない。
 さらに言えば、その政策を実現する力の競い合いであって、それはとりもなおさず、私と小沢一郎氏のどちらがそれに足る国のトップリーダーなのかを国民に審判していただく戦いである。相手は八○年代末以降の日本政治を引き回した主人公のひとりである。好敵手、これに尽きると言えよう。正々堂々の論戦が私の希望である。ぜひ各党参加の党首討論だけでなく、二大政党のトップ二人による一対一の論戦を受けてほしい。
 かつて私は野党時代の河野洋平自民党総裁のもと副幹事長の任にあり、衆院選挙制度改革を巡り、細川政権下で新生党代表幹事だった小沢氏と法案調整の一端を行ったことがあった。時に大胆な妥協も口にし、けれど政権与党の筋は譲らぬその言動に正直、下を巻いたこともあったが、同時に、ともすれば連立与党内への説明や説得を疎かにし、権力闘争や政局優先の発想で国民への共感を欠きがちな姿勢には大きな違和感を覚えたのも事実だ。あるいは唐突に国民福祉税をぶちあげ、すぐに降ろしたあの混乱劇。密室で物事を決めるそのやり方についていけないと感じた国会議員は少なくなかったはずだ。私が小沢感を聞かれると、「相談しない、説明しない、説得しない」と答えるのは、その経験が背景にある。
 だから彼が自由党党首として自自公連立を離脱した後、民主党との合併前後から、「新保守主義者」の立場を捨て、いわば「社民主義者」的な路線に乗り換えた時、政権奪取の意気込みは感じたものの、筋を通す政党政治家としては首をかしげざるを得なかった。昨夏の参院選で、自民党が開けた穴を賢しく狙い、疲弊する地方の不満をすくいあげた選挙戦術はさすが自民党選挙を知り抜いた小沢氏の面目躍如とは思ったが、衆参で権力を分け合う新時代への彼の対応は私には不思議だった。総選挙で勝てるかどうか分からないと大連立構想に振れたかと思いきや、次は、責任政党の責務はどこへやら、早期解散へひた走るべく、国の金融を左右する日銀総裁人事から、国際社会が注視するイラク派遣まで、対決のための対決を選択し続けたのだから。
 何より、政権選択の大事な総選挙であれば、相手の粗を探すより先に自らの政権公約の優位性を堂々と唱えるべきだと私は思う。無投票で代表に再選された直後の記者会見を聞く限り、約十八兆円にも及ぶ彼の経済政策の財源はどこにあるのかさえわからず、結局、自公政権をストップするというネガティブな言説だけか、と正直寂しく思った。リーマン・ブラザーズが破綻し、世界恐慌の恐れがあると各国の金融・経済人が警鐘を鳴らし、国際協調行動の検討が始まっている。そのなかで小沢氏や民主党鳩山由紀夫幹事長の記者会見のテーマの中心は、マスコミ報道で聞く限り、小沢氏が自らの選挙区を捨て都市部の選挙区に国替えするとか、選挙前に国民新党と合併するとか、そんな小さな政局話だけであった。もちろん外交に関するくだりは一つもなかった。
 まさに好漢小沢惜しむべし、ではないか。まさか総選挙での民主党単独過半数制覇に自信をなくしたわけではあるまい。なぜ、代表自ら「刺客」を志向したり、数合わせに奔走するのだろうか。ぜひ、総選挙では王道に立ち戻っていただき、互いの政権公約・政権の正しさを正面からぶつけ合う論戦をしたいものだ。
 
テロ撲滅の戦いは国際標準
 
 私は今こそ、全国にいるわが自民党の候補者と多くの党員・党友、支持者の皆さんに呼びかけたい。我々の政策とその実現力に自信を持ってほしい。日本国民だけでなく、国際社会が今次総選挙を注視している。「弱い日本」の汚名を払拭する舞台の幕が開いたのだ。
 私は今回の総裁選の幕開けであえて、イラクから撤退する環境は整った、だがテロ撲滅の戦いはなお継続されなければならないと訴えた。昨秋誕生したオーストラリアの労働党政権を含め、その仕分けはまさに国際標準となっているからだ。国際社会の動向に合わせて外交方針を機敏に整えるのが、政権の使命である。何でも国連の決定に従えばいいといったような原則論だけで複雑な国際政治を乗り切れるはずがない。日米同盟を基軸に、アジア・太平洋諸国と手を携えて安定と繁栄を築く。テロ、温暖化、貧困など世界規模の問題を解決する先頭集団に加わり、日本が大切にしてきた価値観が若い民主主義諸国に根付くよう手を差し伸べる。それが私の描く外交だ。テロ撲滅の輪から外れようとし、さらに普天間移設問題から思いやり予算まで、歴代の政権が営々と積み上げてきた日米関係の根幹を破壊しようとする小沢氏の外交と私のそれのどちらが日本にとって有益か。それも総選挙の論戦で明らかにしようと思う。
 自民党の中で今後も「上げ潮派」と「増税派」の対立が続くだとかいう、そんなメディアが撒き散らす風評に惑わされないでほしい。何より肝心なのは、理性的な優先順位の判断に基づき、順を追って必要な施策を送り出す見取り図なのである。それについてはこの総裁選の論争を経て、自民党で大同団結できたはずだ。我ら五人の候補は最後、国民の信があれば衆参ねじれなど恐れることなはないという点で全員の思いがそろった。その見取り図に血肉をつけるため、この総選挙を勝ち抜くのだと思ってほしい。
 そして国民の信を背に政党間協議が主導できれば、これまでの政治が解決できなかった多くの課題も処理できていく。年金の一元化、税方式の導入ではかつてないほど自民党民主党で考え方の差は縮まってきたではないか。私とて総選挙で勝利したからすべて我が方の意見を呑め、などと言うつもりはない。野党の中にも、我々がときに見逃す大事な視点、情報を持つ有望な議員はいるはずだ。大きな見取り図のもと、与野党の知恵を結集していきたい。
 国民の将来の不安を払拭する国の根幹の制度の作り直しを、政争の具にするのは余りに不幸だ。合意がめざせるテーマと、必要なら選挙で信を問うべき対立テーマを仕分けるのもまた、政治の知恵である。いわば「非政局化」すべきテーマとして私が現段階で挙げるとするなら、社会保障制度はむろんのこと、憲法改正や現行の選挙制度の評価・見直し、あるいは靖国参拝問題などであろう。大きな問題だからと解決が無理だと悲観論に立つのではなく、大きな問題だからこそ合意ができる新たなシステムを考えていこうではないか。
 
日本の底力を信じる
 
 もとより私も欠点の多い人間だ。失言を心配して下さる方々も少なくない。味方も多い分、出る釘だからなのか、敵も多く作りすぎた気もする。
 あるいは最近の首相と比べても、例えば小泉純一郎氏のような、時に相手を抵抗勢力扱いし、その対立構図をもって国民世論を自らへの支持へと転化させる劇場型の政治術は持ち合わせていない。安倍晋三氏のような憲法改正教育基本法改正といった理念に殉じる潔癖さにも遠く及ばない。福田康夫氏のように、「静かなる革命」を掲げて、粘り強く合意の着地点を見据える調整型のリーダーでもない。
 だが私には現実的に最適な結論を得るための説得の経験と、それに基づく知恵がある。社長を任された石炭会社が不況の波にもまれれば、多角経営で立て直した。河野総裁のもと、自社さ政権による自民党の政権復帰のアイディアも出した。小泉政権下、総務相として全省庁が反対だった三・二兆円の地方への税源移譲を実現させ、党内を二分した郵政民営化へのレールも敷いた。その過程で小泉構造改革の功罪を体感し、罪を改めて功を続ける方策を考えてきた。どうやら、反対が多ければ多いほど、あるいは難局であればそれだけ、解決の道は必ずある、夜明けは近い、と思ってしまう性分なのである。
 私は楽観する。日本の底力は大したものだ。敗戦後の日本に高度経済成長をもたらし、バブル崩壊後の長い不況にも耐え、構造改革を経て、格差感や将来の不安感をいかに解消するか、その局面まで辿り着いた。そして、国際貢献の努力は諸外国の尊敬を集めてきたではないか。我々の政党政治がここで自己改革を進められれば、その底力は全面的に解き放たれる。力強い景気回復のもと、いよいよ社会保障など改革の仕上げに取りかかれるのだ。
 かつて私は一度目の総裁選立候補にあたり、戦後保守の先人たちの勇気と知恵を偲び、先輩政党人たちが出来たことが我々後輩に出来ないはずがないと誓った。その思いはもちろん変わらないが、四度の挑戦を経て総理大臣の座につき今次総選挙に臨むにあたり、先人に伍するにはもうひとつの誓いをせねばならぬと思い知った。最後にそれを国民・有権者の前で私は誓う。
 私は逃げない。勝負を途中で諦めない。強く明るい日本を作るために。

 

*1:朝日新聞社の曽我豪さんという方がゴーストラーターだという説が濃厚ですが