小沢一郎と手を握って「挙国一致」の内閣をつくれ

Jodorowsky2007-10-06



題名は、中西輝政センセイの著書『日本の「死」』 第8章 「石原慎太郎総理へのシナリオ」
に付けられたサブタイトルです。


なんでまたこんな本を読んだかというと...*1
先日、聯隊長の連載をチェックするために読んだ『正論』10月号において、中西センセイの論文が、とにかく陰謀論一色で大変なことになっていたので、ちょっと興味をもって著書を図書館で借りてみました。


この本が出版されたのが、2003年2月15日
上記の「石原慎太郎総理へのシナリオ」が掲載されたのは『Voice』2001年10月号
実際に執筆されたのは、2001年8月13日に小泉元総理が靖国神社に参拝したあたりだと想像できる。
とにかく小泉が8月15日に参拝しなかったのが許せなかったみたいで、いろいろと因縁を付けたあげく次の文章でしめている。
※強調は引用者

 ポスト小泉にふさわしい人物はいないのか。ポスト小泉を考えるうえでもっとも重要なことは、まず「挙国一致」ということであろう。日本人がもう一度、心を一つにするということである。その意味で、今年の靖国参拝は、二十一世紀の最初の八月十五日に日本人が心を一つにして、外国からの圧迫に対しこの国の総理大臣の参拝を支え、新しく日本と日本人の心を見直し、日本の歴史との一体感をもって、この国をいま一度立て直していく出発点として、じつは重大な意味をもっていたのである。
 残念ながら、それは小泉氏自らのまことに情ない日和見によって挫折したが、それだけに、ポスト小泉政権は誰が反対しようと絶対に参拝しうる政治家、上述のような「日本の戦後を乗り越える大革命」を引っ張っていけるリーダーが強く求められる。もはやこの大役にふさわしい人物は、見渡したところ日本にただ一人しかいないように思われる。石原慎太郎東京都知事以外は考えられなくなったのである。
 したがっていまわれわれの目は、石原政権がどのような構図で、どのようなシナリオで誕生するかに向かってゆくときである。小泉政権の寿命あるいは今後の日本の政局をにらんで、少なくとも国民の目は徐々に、新しい日本政治のキーパーソンとしての石原氏に向けられてゆくであろう。
 また、政治家にとっての命である言葉というものを、これほど粗末にした小泉純一郎という政治家を乗り越える資質をもつ人物として、市場経済や行政、政治の抜本的改革、その他において根本的なビジョンをもち、そのビジョンを主張しつづけ、どんな苦難があっても「言葉が命」というモラルを守りつづけられる政治家でなければならない。このような人物は今日の日本には一人しかいない。小沢一郎自由党党首である。
 つまり、ここで「挙国一致」とは石原氏と小沢氏の二人が手を握ることなのである。これが日本の最後の「切り札」だという高まる国民の切なる声を両人が真摯に受け止め、個人的には犬猿の仲であったとされる二人が二十一世紀の「薩長同盟」を結べるかどうか。日本の政局の大きな流れはここに推移していかざるをえないのではないか。二人とも政治的、肉体的な残り時間が、おそらくギリギリのところに来ている。しかし、一番ギリギリなのはこの日本という国なのである。そのことを考えれば、二○○二年という年は、日本の歴史の大転換の年にならなければならないのである。

参考:2001年当時の首相の靖国神社参拝に関する世論調査
http://www.asahicom.com/yoron/index.htm#r1


この後の政界は、
2002年9月17日 小泉首相北朝鮮平壌を訪問
2002年10月15日 北朝鮮拉致被害者帰国
2003年9月26日 自由党民主党に合流
2004年5月22日 小泉首相は2度目の平壌訪問
2005年9月11日 郵政選挙自民党圧勝
・・・



こんな恐ろしく先見の明がある中西センセイが安倍さんのブレーンだったなんて...*2


なんとこの本は、2005年に文庫化されたみたいです。
文庫版の内容が変っていないか悪趣味なチェックをしてみようと思います。*3

 

*1:面白そうなところだけ斜め読みしただけですが(笑)

*2:「現在の価値観で過去を裁くな」と怒られそうですがw

*3:10/17追記:文庫版はそのままの記述でした。格好いい!