百人斬り裁判 「言論封じ」の訴訟指揮

 
あまり更新しないと事件でも起こしたと思われちゃいそうなので、例によってダラダラと雑誌記事を引用してみます。
 
以前、映画『靖国 YASUKUNI』に関して、週間新潮のバックナンバーを調べた時にみつけた記事。

「新・「裁判官」がおかしい! 百人斬り裁判 「言論封じ」の訴訟指揮」*1
 
裁判官には、法廷での一切が任されている。一段高い場所から訴訟の当事者や傍聴席を見下ろし、法廷の独裁者として君臨する。それだけに、その訴訟指揮は時に傲慢さを伴う。中には、法廷で最も重要であるはずの正義や真実、あるいは言論が蔑ろにされることさえある。連載第3回は、現実に罷り通っている仰天の訴訟指揮を紹介する。
 
 06年2月22日、東京高裁818号法廷は、険悪な雰囲気に包まれていた。
 マスコミ注目の「百人斬り訴訟」の控訴審第1回口頭弁論が開かれたのだ。
 控訴していたのは、中国人を「百人斬り」したとして48年1月に南京で銃殺刑に処せられた野田毅向井敏明両少尉の遺族である。
 両少尉が百人斬り競争をした唯一の証拠にされたのは、当時、大阪毎日新聞東京日日新聞が掲載した戦意高揚記事である。両紙は37年11月から12月にかけて4回にわたって、2人が百人斬り競争をおこなっていることを報じた。
 <南京入りまで"百人斬り競争"といふ珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田毅両少尉は十日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコードを作つて十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した>
 <野田「おいおれは百五だが貴様は?」>向井「おれは百六だ!」・・・・・・両少尉は"アハハハ"結局いつまでにいづれが先きに百人斬つたかこれは不問、結局「ぢやドロンゲームと致さう、だが改めて百五十人はどうぢや」と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまつた>
 ・・・・・・いかにも戦意高揚のためのその記事は、今では、「南京大虐殺記念館」の地下1階に日本軍の虐殺の象徴として等身大の象徴として等身大のパネルにされ、展示されている。
 そもそも1本の刀で百人以上の人を斬ったなどということが、いかに現実離れしたものであったかは一目瞭然だが、71年に本多勝一朝日新聞記者(当時)が朝日紙上にこの百人斬りを紹介したことから、事態は新しい展開を見せ始める。以後、国際的にも有名な"事実"となっていくのだ。
 遺族は、百人斬りは事実ではなく、名誉を毀損されたとして、03年4月、朝日・毎日・本多氏らを相手取って損害賠償請求訴訟を起こしていた。
 一審で敗訴した遺族はこの日、満を持して控訴審に臨んでいたのだ。
 口頭弁論が始まって間もなく、東京高裁第22民事部の石川義則裁判長(63)は原告側に向かって、
 「(準備書面の)一部を陳述しないで下さい」
 と、言った。原告支援者と被告支援者、双方で埋まった傍聴席が、ざわめく。
 すかさず立ち上がる原告代理人稲田朋美弁護士。
 「どうしてですか?」
 が、石川裁判長は無表情のまま答える。
 「不適切です」
 「どこがですか」
 「指摘するまでもありません」
 石川裁判長は、丸顔に銀縁メガネ、横になでつけた薄めの白髪が特徴だ。その外見と、冷徹なモノ言いが妙にアンバランスだ。
 法廷の支配者である裁判官は、別に訴訟当事者に説明の義務はない。自分さえ納得すればいいのである。
 あらためて手を挙げる稲田弁護士。
 「では、陳述させていただけない部分について、ここで口頭で読み上げさせていただきます」
 準備書面で提出した中身を陳述させないという前代未聞の出来事に、原告側は、法廷で口頭で朗読するという強引な手段に出たのである。
 憮然とする石川裁判長。稲田弁護士が朗々と"禁止"させた部分を読み上げ始めた。
 「裁判所の責務とは何かを考えたとき、国民の法益保護の最後の砦となることである・・・・・・」
 強烈な原告側の主張が朗読される。
 「原審の裁判官らはその荒唐無稽さが理解できないくらい目が曇っているのか、それとも3人の名もない高齢の女性たちの人権を擁護する判決を書いた場合の社会的影響の大きさを政治的に判断した結果なのか、極めて理不尽な結論・・・・・・」
 稲田弁護士の朗読はつづく。ぎすぎすとした険悪なムードが漂う法廷。しかし、すでに、被告側支援者たちには、勝ち誇ったような笑顔が広がっている。
 自由な言論が法廷で許されない--それは、信じられない事態だったのである。
 
 裁判官忌避も却下
 
 稲田弁護士の朗読が終わった後、石川裁判長は、
 「控訴人側から証人申請がありますが、当裁判所としては調べる必要がない、と判断しています。これにて弁論が終結します」
 と、宣言した。
 このたった1回の口頭弁論で、控訴審を終えるというのである。証人の意見陳述もさせず、準備書面の陳述も一部させないという強引な訴訟指揮である。
 「よーし!」
 と、被告側支援者の間から声が上がった瞬間、原告代理人高池勝彦弁護士が立ち上がった。
 「裁判官の忌避申し立てをします!」
 裁判官忌避--不公平な訴訟指揮を理由に、原告側はこの裁判官の下での心理を拒否したのである。
 だが、石川裁判長ら3人の裁判官はこれを無視。
 「終結後の忌避です」
 という言葉だけ残して法廷を出ていってしまった。
 原告側の裁判官忌避申し立ては、1週間後に却下される。そして、3ヶ月後の5月24日、石川裁判長によって控訴棄却の判決が言い渡されたのである。
 「ここは言論の自由が保障された日本の法廷とは違うのか、と思いました。訴訟指揮がひどすぎます」
 今もそう憤るのは、稲田弁護士である。
 「"不当な表現がある"と遺族の意見陳述すら認めず、当方の準備書面も一部陳述させないという。原告である向井少尉の次女、向井千恵子さんの意見書の仲には"昨今の諸事情から、中国絡みの裁判には誰も拘わりたくもなく容易ではない事も存じ上げます"という部分があります。私の準備書面にも、虚偽の荒唐無稽な作り話を見抜くことができない裁判所に対する批判が書かれています。裁判官はそのことが気に入らなかったのでしょう。自分たちに対する批判を根拠も説明せずに封殺してしまったのです。こんなことは自由な言論が保障されているはずの法廷で、許されるはずがありません」
 確かにこんなことが罷り通るなら、そこは民主主義国家の裁判所とは言えまい。
 原告代理人、高池弁護士がいう。
 「実に政治的な陳述拒否でした。わざわざあの部分を陳述扱いしない、というのは、耳の痛いことは主張させない、ということです。"傲慢"以外の何物でもない。結局、陳述させてもらってないから、法廷で稲田先生が読み上げたものの、これは陳述ではなく、単なるアピールをしたことに過ぎないんです。なぜそこまで日本の裁判官が中国に遠慮しなければいけないのか、私には理解できません」
 中国への配慮といえば、実は、注目を集めていたこの訴訟には、一審(土肥章大裁判長)の時から、奇妙な訴訟指揮があったという。
 「一審でも訴訟指揮は変でしたよ」
 と先の稲田弁護士がいう。
 「証人申請して認められたのは、2人の写真を当時撮った佐藤振壽さんというカメラマンだけです。91歳になっていた佐藤さんは車椅子で出廷し、"百人斬りがあったとは100%信じていない""本多記者が自分に何ひとつ問いあわせもせず、報道したのはジャーナリストとしておかしい"と証言してくれたのです。しかし、法廷で認められた証人は佐藤さんだけで、それ以外は一切認められなかったのです」
 たとえば、
 「野田、向井両少尉から"あれ(百人斬り)は嘘だ"とはっきり聞いている人や、当時、行動を共にしていた部下など、百人斬りが虚偽であったことを証言してくれる人を私たちは証人として申請していたんです。そして、被告の本多記者なども併せ、都合15人申請していた。でも佐藤さん以外はすべて却下。そして、佐藤さんの証人出廷のあとは、公開の法廷ではなく、非公開の狭い部屋で延々と協議を続けたのです。1人だけ重要な尋問をやって、あとは闇から闇へという形で決着したわけです。裁判所の事なかれ主義の典型です」
 そこまで日本の裁判所は中国が怖いのだろうか。
 
 荒唐無稽なホラ話
 
 一審判決では、<(百人斬りは)戦意高揚のため、その内容に虚偽や誇張を含めて記事として掲載された可能性も十分考えられる>としながら、<重要な部分について、一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない>として、原告の請求を棄却している。"重要な部分"とは、"2人の少尉が百人斬りの競争をして、捕虜を含む多数の中国人を殺害した"ということである。つまり、
 「本を書いた人間すら調べず、証人尋問もさせず、裁判所が立証を拒否した上で"百人斬りが虚偽とは言えない"という結論を出しているんです。"ハァ?"という感じですね。結論を先に立てているとしか思えませんでした」(稲田弁護士)
 さらに二審では、前述のように気に食わない部分を陳述すらさせなかったのだ。
 向井少尉の次女・向井千恵子さんがいう。
 「本多記者の本は、国交のない中国に行って、向こうが出してきた人を取材してきています。でも、野田少尉は大隊長のそばにいて、庶務的なことをやる副官で、うちの父は砲の着弾距離を測って、これで修正して撃たせる歩兵砲の小隊長でした。2人とも持ち場を離れられないのにどう百人斬りをやったというのでしょうか。いつの間にか百人斬りは"殺人ゲーム"になり、後には捕虜を斬ったことにされています。なぜ本多記者を証人として呼ばないのか、私には分かりません」
 裁判所は真実から逃げた、と千恵子さんは訴えるのだ。
 証人出廷した現在94歳の佐藤元カメラマンがいう。
 「あの戦争は、敵と300メートル距離があっても、鉄砲で1発で殺せるような戦争なんです。鉄砲で撃てば相手を簡単に殺せるのに、チャンバラのために近づくなんてあり得ない。あれは与太話を面白おかしく書いただけなんだよ。あの写真が中国で飾られているのは忸怩たる思いだ。あの写真はたった1回シャッターを押しただけなんだよ。記者に"将校が2人煙草を切らして困っているから、あげてくれ"と言われて会い、その時に撮ったものが、ああいう記事に使われたんだ」
 記者に乗せられて野田・向井両少尉がホラ話をしたのは事実かも知れない。しかし、実際の百人斬りとなると、あまりにも荒唐無稽だ。
 が、判決の結果もさることながら、「意見陳述もさせない」という訴訟指揮をどう考えればいいのか。
 元横浜地裁裁判官の井上薫弁護士がいう。
 「内容が不適切だと理由まで言って陳述を拒否するのは聞いたことがありません。訴訟の場においては、自由に陳述させるべきであり、裁判所の批判があるからダメというのなら、これは訴訟指揮が偏向していることになります。ちょっと横暴というか、やりたい放題という感じですね。裁判官特有のエリート意識より、個人の性格だと思います」
 さて、その訴訟指揮について、石川裁判長ご本人は何というか。
 千葉県下の自宅マンションのインターフォンを押すと、石川裁判長の夫人が出た。取材を申し込むと、
 「一切、そういうことには、応じられません」
 --法廷で準備書面を不適切として陳述させないのは、異常な訴訟指揮では?
 「主人は、会えないと言っています。公務員ですので。帰っていただけますか」
 --公務員ということで、取材に応じられないというのはおかしいと思いますが。
 「今までうちに訪ねて来られた方なんてどなたもいらっしゃらないです」
 --家を訪ねて取材するのはマスコミとして普通のことだと思いますが。
 「そんなの今まで一度もないですし、迷惑です・・・・・・」
 --本人を出して下さい。断るのなら、本人が断って下さい。
 「ごめんなさい。一切出ないって言ってますので・・・・・・」
 何度も夫との間を往復した上で、夫人はそう答えた。
 記事のせいで人生を棒に振り、職場から白い目で見られて苦しんで来た遺族たち。その訴えを意見陳述もさせないまま棄却した裁判官は、自分の訴訟指揮について問われても、インターフォンに出ることすらできないのある。
 ちなみに、被告側からは、「当方の主張が認められた妥当な判決である」という回答がそれぞれ返ってきた。
・・・・・・

実際にこの裁判を傍聴したわけではないし、法律的なことは分かりませんが、
単に能力が足りない弁護士が週刊誌と一緒になって言い訳を連ねてるだけのように見えてしまいますね。
控訴審で一審の裁判官批判するなんて、どうせ負けるからと政治的ポーズをとっただけとしか受け取りようが...。
 ※裁判の実態はこちらが参考になります 事実.com
そもそも日本の裁判所が、本件で中国に遠慮する必要ってなんなんでしょ...
映画『靖国 YASUKUNI』騒動でみられるように、週刊誌に煽られた右翼が裁判官に危害を加えることが無いように祈りたい。
そもそも判決に関してマスコミが裁判官の自宅を突撃するのって有りなの?
 

*1:2008年3月6日号P52〜55