ドイツのリーダーの勇気に学べ

Jodorowsky2008-06-15

 
日本会議の機関紙『日本の息吹』のバックナンバーで確認したところ、
映画『靖国 YASUKUNI』においてKYなサヨク学生がボコられるシーンは、
平成17年8月15日に行われた「終戦60年国民の集い」という催しでの出来事だったようです。
催しのプログラムは以下のような感じ

 
まぁ、相変わらずのメンバーですね。
そんな中から、映画でもニタニタしているところが映っていたクライン孝子さんの講演内容をコピってみます。
 

ドイツのリーダーの勇気に学べ*1
クライン孝子(ノンフィクション作家)
 
 多くの日本の政治家が靖國神社に参拝することで批判されることを恐れていることは大変残念なことです。独立国の日本がそのような状態であることを国民は悲しく思っていることでしょう。私からはドイツのリーダーが戦歿者に対してどうしてきたか、三つお話させて頂きます。
 一つは、靖國神社GHQによって焼き払われそうになった時のことです。「靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその御霊を祀られるようにすることを進言する」と仰ったのは、ドイツ人のローマ教皇庁代表兼バチカン代理公使のブルーノ・ビッター神父でした。私は、日本国民に代わって、はっきりと意見を述べたドイツ人神父を尊敬しております。
 二つ目は戦犯の問題です。ドイツでは、スターリングラードの戦いやノルマンディー上陸作戦で、たくさんの兵士が捕虜になりました。旧ソ連に連行された兵士の生き残りは、一九五五年の段階で九千六百二十六人でした。五三年にスターリンが亡くなると、フリシチョフやブルガーニン、モロトフを相手に、西ドイツのアデナウアー首相は特別の飛行機と列車を仕立て、モスクワに行き交渉します。そこで奇跡が起こります。その夜、ボリショイ劇場の上演は「ロミオ&ジュリエット」でした。アデナウアーとブルガーニンは隣同士で観ていましたが、そのときに握手したそうです。それでアデナウアーは上手くいくと思った。それから何日かの交渉の結果、最後に九千六百二十六人一人残らず捕虜を奪還した。アデナウアーのその時の思いは、不幸にして敗戦国になったが、第一次世界大戦から、第二次世界大戦の終わりまでの三十年戦争を経験した歴史の続きに自分はいる。自分は敗戦国の将としてではなく、国民の為を思い全力で交渉にあたった、という思いでありました。その後、西ドイツは日本と比較される経済大国になりましたが、国民がアデナウアーを尊敬したのは、国のために戦った軍人をシベリアから救い出したことにあります。
 三つ目は、ドイツの戦歿兵士の墓地は国内に大小合わせて二万箇所ほどありますが、国外にもあります。フランスにはノルマンディー上陸作戦の場所にドイツ人戦歿者の墓地があります。コール首相は、隣国との関係がまだ整っていなかった時、ビットブルクの軍人墓地にレーガン大統領と訪れ、献花を捧げました。ナチ親衛隊のお墓もあるということでユダヤ人や反戦主義者の非難を浴びましたが、このことは国民の評価を得ました。ドイツの政治家は、国民の為に勇気を出して参拝したのです。日本の政治かもぜひこのように、国民の為に勇気をもって参拝して頂きたいと思います。

クラインさんが挙げられた三つの内、二と三はあんまし靖国問題とは関係が薄いような...。日本でもシベリア抑留者は帰国したわけですし、*2 A級戦犯合祀以前は天皇や総理大臣も普通に靖国参拝していたわけですから、*3 とりたてて強調するほどの事例では無いような気がします。
で、残る一つ目ですが、恐らく元ネタとなってるのは靖国神社サイトにあったコレ。

靖国神社を守った神父
 
 自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意を
はらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。  
 もし、靖國神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。
 歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
 
(中略)
 
 我々は、信仰の自由が完全に認められ神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のため死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。  
 
 終戦後、日本に進駐した連合軍は、靖国神社の処理問題を取り上げた。同司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占めたが、マッカーサー総司令官は、最後の決断を下すに際し、キリスト教会の意見を聞くこととし、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理のビッテル神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の統一見解を文書にて回答されたい旨を要望した。その答申(要旨)が先の文章である。終戦直後のあの混乱時、靖国神社に対し深く正しい理解を示し、同神社を守っていただいたブルノー・ビッテル神父に対し感謝と尊敬の誠を捧げたい。
(社報「靖国」昭和56年7月号掲載、財団法人水交会会長・木山正義氏の玉稿『靖国神社とブルノービッテル神父』より要約抜粋)
以 上

因みにコチラに(中略)された箇所が載っていたので引用してみます。

 靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根元であるというのなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。

こんな短い文章を(中略)してしまったのは何故でしょうねw