高池さんの判決批判。

 
上で参考にした論文の「判決批判」と題された箇所を抜粋しておきます。

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▼判決批判
 死者自体の名誉毀損がみとめられなかつたことは、現在の法体系の上ではやむえを得ない。
 しかし、遺族固有の名誉毀損がみとめられなかつたこと、その理由が、前述の通り、子どもの名前が出てゐないのであるから、遺族が両少尉の近親者であると周りから認識されることはあり得ないなど、非常識きはまりない。
 また、遺族の敬愛追慕の情に対する違法な侵害について、「一見して明白に虚偽であるにもかかわらず、あえてこれを適示した場合であって」とか、「事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要する」とかの基準は、立証不可能なことを要求するものであるから不当であり、この判例がほかの事例にも将来にわたつて適用されるとは考へられない。
 ただ、「百人斬り競争」自体については、一、二審とも、ほぼ疑問であると判断してゐる。二審を引用する。
「南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務、1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても、本件日日記事にある『百人斬り競争』の実態及びその殺傷数について、同記事の内容を信じることはできあにのであって、同記事の『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。」
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敬愛追慕の情侵害の成立要件に関しては、被告側主張として次のように説明せれております。

イ 原告らは,人格権侵害として,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情の侵害を主張するところ,遺族の敬愛追慕の情については,具体的に法に定められたものではなく,その成立要件としては,摘示した事実のうち主要な事実の虚偽性が必要であるとともに,摘示した事実が重大で,その時間的経過にかかわらず,原告らの両少尉に対する敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害することが必要である。

 
これを読むと、原告代理人等が一生懸命主張していることが、裁判の争点とは相当にズレていたことが分かりますね。原告である遺族がどの程度このことを理解していたのかが気になります。