ジャーナリズム崩壊

Jodorowsky2008-09-16

 
インサイダー情報を駆使して、安倍晋三前総理とその周辺のポンコツぶりに迫った名著『官邸崩壊  安倍政権迷走の一年 』の著者、ジャーナリストの上杉隆さんが出した新書『ジャーナリズム崩壊』。
 
記者クラブ制度を始めとした日本の大手マスコミの異常ぶり・駄目さ加減を、上杉さんが以前在籍したニューヨークタイムズとの比較等を中心に明らかにされてます。記者クラブ制度がいかに権力とそして大手マスコミにとって都合が良いものであるかについては、過去にも数多く指摘されてきたと思いますが、現場の人間によって実体験をもとにまとめられた本書が、昨今のマスコミ不信の風潮もあって、多くの注目を集めているのは大変素晴らしいことかと思います。もっとも外野で騒いでも中の人の自浄作用は期待できないので空しいというか、現実に記者クラブ廃止している民主党なりが政権をとって、思い切ったことをしない限りは根本的には変わらないような気もしますが...まぁこの本はとにかくお薦めです!
 
この本の内容に絡んで、TBSラジオ「ストリーム」で小西克哉さんと対談もしております。ポッドキャストで聴取可能
「ここがヘンだよ日本のジャーナリズム」特別対談〜小西克哉VS上杉隆〜1日目【日本の放送局のとんでも話・NHK編】
「ここがヘンだよ日本のジャーナリズム」特別対談〜小西克哉VS上杉隆〜2日目【日本の政治部記者の奇妙な常識について】
「ここがヘンだよ日本のジャーナリズム」特別対談〜小西克哉VS上杉隆〜3日目【日本ジャーナリズム崩壊の元凶〜記者クラブの実態】
『「ここがヘンだよ日本のジャーナリズム」特別対談〜小西克哉VS上杉隆〜4日目【署名か匿名か〜ジャーナリストの責任とTKD!】』
 
東京脱力新聞2.0 ジャーナリスト上杉隆のブログ」
http://www.uesugitakashi.com/
上杉さんの場合。速報的なものは、まずブログに書きこまれるのですが、
その理由についても本書で触れられております。
 
で、とりあえず一番興味深かった箇所をダラダラと引用。P210-215
例のNHK番組改編問題告発の舞台裏が明かされてます。登場人物はもちろん実名。
とにかく不可解な点を多かったあの問題の経緯も、やっと腑に落ちた感じです。

不可解だったNHK番組改編報道の対応
 一方で、日本の新聞はどうだろうか。記憶に新しいのは、朝日新聞によるNHK番組改編問題の報道、及びその後の対応である。
 実はこの件については、筆者は当初から浅からずかかわっている。その間、少なからず感じていた疑問は、事後、朝日新聞の取った対応に触れてさらに強まった。それはニューヨーク・タイムズなどの海外の新聞との比較、及びジャーナリズムの観点から見ても、どうしても不誠実という印象が拭えない。
 発端は、2005年1月12日付の朝日新聞朝刊の記事だった。朝日新聞社会部記者本田正雅氏が、という記事を書いたことに始まった。
 本旨から外れるので、ここではその番組そのものには触れない。興味があれば、『検証 日本の組織ジャーナリズム−NHK朝日新聞』(川崎泰資・柴田鉄治著/岩波書店)に詳しいのでそちらを参照してほしい。
 さて問題の記事の内容は、NHK教育テレビの特集番組「戦争をどう裁くか」の放映前に、安倍晋三中川昭一の両自民党議員が、国会にNHK幹部を呼びつけて、「改変」を求めたというものだった。これが本当ならば、確かに権力からメディアに対する不当な圧力であり、スクープ記事ともいえる。
 ところが、その記事が掲載された翌日、NHK長井暁チーフプロデューサーの記者会見に出席した著者は、どうしてもその不自然さに納得がいかなかった。
 会見の質疑応答の冒頭、ひとりの記者が立ち上がり、これまでの経緯、政治家からNHKにかかったとされる圧力の中身を「説明」し始めたのだ。それは実際、「説明」と呼ぶにふさわしいものであった。それが「説明」ではなく、「質問」であったことは、当の長井氏がマイクを握り「今のご質問にお答えします」と語って初めて筆者も気づいたくらいだ。
 筆者は、あまりにも露骨な誘導質問に疑問を感じ、その会見の場で不可解な点をいくつか質問した。だが、長井氏からは明確な回答が得られなかった。ただ長井氏の曖昧な応えから、どうやら彼も直接、政治圧力については見たわけではない。つまり伝聞だったということは確認できたのだ。そしてまた、「質問」した記者が、実は前日の朝日新聞の記事を書いた本田記者だということも判明し、何かしらその記者会見が芝居がかったものであることを感じたものだった。また、会見に出席していたジャーナリストの魚住昭氏も隣に座った筆者に対して、NHKの告発者と本田記者を擁護するような記事を書くべきだという発言をし、さらに疑いに拍車がかかった。
 そこで不審に思った筆者は、会見後、その足で永田町に向かい、安倍、中川両事務所の面会記録を確認することにしたのである(安倍事務所は拒否)。調べ始めてすぐ、驚くべき事実を発見した。
 衆議院事務局、及び中川事務所の面会票と面会記録を調べた結果、NHK幹部に圧力をかけたとされる2001年1月27日に、中川氏は国会にはいなかったということがわかったのだ。さらに念のため、自民党衆議院院内、首相官邸など他の面会可能な場所も調べたがやはり同様だった(この件は直後、魚住氏にも伝えた)。
 さらに翌日、NHK幹部と中川氏の面会日は2月2日、つまり放送後だったということが筆者の元に知らされたのである。
 こうなると事前に会っている安倍氏はともかくとして、中川氏に関しては誤報の気配が濃厚となる。私は取材の矛先を中川、安倍両氏から朝日新聞、とりわけ本田記者に変えた。
 ところが朝日新聞は一貫して取材を拒否、しかも一方的に記者会見だけを開き、本田氏を隠し、「記事には一切間違いはない」と強弁を張り続けたのだ。
 
最後まで誤報を認めなかった朝日新聞
 だが、「一切間違いはない」と言いながらも、朝日新聞のその後の対応はまったく納得できないものだった。なぜなら正しいはずのその記事に対して、なぜか「検証チーム」を作り、自ら本田記者の取材過程を追跡し始めたからだ。
 検証記事は、半年後の2005年7月になってようやく紙面に掲載された。だが相変わらず誤報は認めず、取材が不十分だったということだけを認めたに過ぎなかった。
 これは大いなる欺瞞であった。安倍氏からの政治的圧力の有無はまだしも、少なくとも中川氏に関しては、本田記者がその記事に書いたような直接面会しての圧力は、誰が考えても物理的に不可能だったからだ。それは取材が不十分なだけではなく、明らかに誤報といえるものだ。だがそれでも朝日新聞は謝らない。
 そこで筆者は、自身がキャスターを務める報道生番組「ニュースの深層」(朝日ニュースター/朝日新聞)に、中川農林水産大臣(当時)を直接呼んで、当時の記事について反論してもらったのだ。
「私は、事実関係を挙げて圧力はなかったと証明しているのに、朝日新聞は訂正も反論もしないままです。記事を書いた記者も、まぁ、武士の情けですから、ここではお名前を申し上げませんが、一切出てこないで逃げ回っているじゃないですか。朝日新聞社はなぜ彼を守るんですか。もちろん健全な者は守るべきだ。だが卑怯な人間を守ったら組織がもたないだろう」
 中川氏の言う通り、まさしく朝日新聞が守ろうとしていたのは、守らなくてもいいものだった。仮にこれが米国の新聞社だったら、その記者は自ら説明責任を果たさなくてはならないだろう。仮にそれができないというのならば、単に社を去るだけだ。
 それがジャーナリズムを生業にしている者の宿命であるし、当然の責務である。日本でもフリーランスのジャーナリストだったら、おそらくペンを折らざるを得ない事態だ。
 過ちは過ちである。いくら特定の政治家が憎かろうと、虚偽の事実に拠って記事を書いてはいけない。それはもはやジャーナリストの仕事ではなく、政治活動の領域に入ってしまっている。
 つまり本田雅和記者も、政治目的のために「大連立」を模索した渡邉恒雄読売会長と逆の意味で、同じプレイヤーとなってしまったのだ。
 そしてもっと問題なのは、そうした事実を確認しながら、読者に対して謝罪できなかった朝日新聞の体質だ。新聞はひとりの記者のためにあるのではない。一部130円(朝日朝刊)を払って読んでいるすべての読者のためにあるのだ。それを忘れてはならないだろう。
 
 日本の新聞はそろそろ、読者への無意味な無謬主義を標榜して、こうした過ちを糊塗することを止めるべきではないか。
 新聞は間違いを犯すたびに同じような対応を繰り返してきた。まずはミスを隠そうと試みる。それがかなわないとなると、別の記事でごまかそうとする。それでもバレてしまいそうな場合はできるだけ目立たないようにできるだけ小さく訂正記事を載せる。たとえ1面で大きく扱っても、訂正は3面の隅に小さく載せる。これで運が良ければ気づかれない−。それが誤報における日本の新聞のモットーである。

まぁ、本田記者みたいなのを守ってるようじゃ朝日新聞も救いようがありませんね。
要はこの件がウヤムヤになって得をしたのって、安倍さんと本田記者だけってことじゃん。