児玉誉士夫『 悪政・銃声・乱世―風雲四十年の記録 』 より 支那事変以降の軍規の乱れに関しての記述を抜粋(P160〜163)。 その年、つまり十二年の十月ごろと記憶するが、笠木良明先生の紹介が縁となって、たいそうじぶんの面倒をみてくれていた、河相達夫(当…
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