*日付の矛盾点について注意。

id:myhoney0079さんのブログ『 孤高 』で
十条さんと名無しさんとの間のやり取りが面白すぎたんで、
抜粋してまとめておきます。

名無し
『>南京大使館参事官日高信六郎の証言
広田弘毅伝記刊行会編「広田弘毅」より
http://www.geocities.jp/yu77799/hidaka.html
そのHPでは、
――――――――
日高信六郎氏は、南京事件当時、大使館参事官として上海におりました。南京には、1937年12月17・18日、12月25・26日など、四回にわたり出向いています。(「南京大虐殺事件資料集1 極東国際軍事裁判関係資料編」P180より)
――――――――
と述べている。
*日付の矛盾点について注意。
こういう点について、どのような史料批判が行われているのか。もしくは史料批判を展開してくれれば良いのに、お互い「あったー」「なかったー」言ってて空しくない?
ネットじゃ片方が認めない限り、勝ち負けなんてありえないよ。』 (2007/09/20 00:12)



名無し
『jujo氏、ワシ氏 のお二方、わざわざ「日付の矛盾に注意」って書いたのに全然気が付かないって、あんたらアホでしょ。 
同一ページに、
「日高信六郎氏は、… 南京には、1937年12月17・18日、12月25・26日など、」
「入城式の前日(十二月十七日)憲兵隊長から聞いたところでは、」
「多分十二月十五日だったと記憶するが、司令官の朝香宮を訪ね、」
入城式は12月17日ね。要は東京裁判では17日〜18日に南京に居たことになっているのに、広田弘毅伝記刊行会編の方は15日から南京に居たことになっているわけだ。正しい歴史学的手法としては、この矛盾点に関してどう解釈するのか興味深いところであるが、実際の処あなた方はどう思います?って問いかけるつもりだったんだけど、マジメに南京問題を考えているのであれば、前述の指摘だけで充分気が付いてくれると思ったわけ。
で、あんたらの反応を見ていると、ホントのところはどうでも良いんでしょ。もう歴史がどうのとかって関係なく、純粋に罵り合いすれば良いと思うよ。』 (2007/09/21 01:40)



ワシ。
『15日、16日に入ったとしたら、16日の明日は17日。
入場式の前日ってのは間違い無いみたいだから、恐らく15、16日に南京に居たんじゃ無いの??
青時でも書かれてるよ。小さい文字で。
単に日付けの勘違いじゃないの???』 (2007/09/21 01:52)



名無し
『だ〜。これってどっちかって言うとワシ氏に有利な視点なのに、当人がそう言うことを言うか(笑)
東京裁判での証言(記録と照合して証言するぞ、でなきゃああいう総括的な言い方は出来ん)と、当人の思い出話に出てくる記憶を辿っての日付と、どっちが正確だと思います?そして、問題とされる証言内容は開城式前でないと辻褄が合わないでしょうが。この事から、僕はこの日高証言が虚偽の内容である確率が高いと考えています。他の解釈ってどんなのがあります?』 (2007/09/21 02:37)



jujo
『ご苦労様です。
広田弘毅伝記刊行会編の方は15日から南京に居たことになっているわけだ。
日高はそんなことを書いていません。朝香宮に会ったと書いているだけですけど。記述を創作していけませんね。
まさか、15日に朝香宮司令官は南京(南京城内)に居た、とお考えですか? 入城式前に司令部、とりわけ朝香宮が南京城内に居た、などという主張があるのなら是非お目にかかりたいものです。
結局、16日を17日に間違えた、ただそれだけかも知れません。』 (2007/09/21 05:19)



名無し
『「矛盾点をどう解釈するのか」って言っているのに、事実の一部を否定すればOKって考えですか。「東京裁判の記述が間違っている」って断定するだけでお終いなの?あんまり荒すぎない?マトモな歴史学者も同じ様な史料批判をしているのかな。
それと南京戦の司令部って、南京郊外に置かれていた訳じゃないんだ。知らんかったよ。
無知な私は、もうついていけませ〜ん。罵倒合戦頑張ってね。』 (2007/09/21 09:42)



おいおい
『>「矛盾点をどう解釈するのか」って言っているのに、事実の一部を否定すればOKって考えですか。
なに言ってんの! 司令部が15日には南京になかったのなら、そもそも「矛盾」なんて存在してないじゃん。ありもしない矛盾を説明する必要があるわけ?
>「東京裁判の記述が間違っている」って断定するだけでお終いなの?
17日を「入場式の前日」と言っていることから判断して、少なくとも東京裁判での証言には日時に関する誤りがあることは確実なわけよ。「17日」がまちがいなのか、「入場式の前日」がまちがいなのかは分からんけど。なのに勝手に
東京裁判での証言(記録と照合して証言するぞ、でなきゃああいう総括的な言い方は出来ん)
とか憶測しちゃって。
>それと南京戦の司令部って、南京郊外に置かれていた訳じゃないんだ。知らんかったよ。
ここに気づいた時点で「矛盾」なんてなかったことにも気づけよ。あんたが心配しなくてもまともな歴史家はまともに考証してる、ってことだな。』 (2007/09/22 23:02)



名無し
『っで、南京戦の司令部って何処に置かれていたの?上海なの?
そのマトモな考証ってどの様なものか、説明してはくださらないの?』 (2007/09/22 23:53)



jujo
『名無しさん、「15日に朝香宮と会った」としか書かれていない記述から、勝手に「15日から南京に居たことになっているわけだ」などと断定したのは貴方です。朝香宮が15日時点で「南京に居た」のかどうか、本来貴方の側に立証責任があるわけで、にもかかわらず人の説明を期待しているようでは話になりません。ご自分で15日の司令部の場所を調べず、自分で調べようともせず、「南京に居たことになっているわけだ」などと述べること自体が間違いだと思います。』 (2007/09/23 01:33)



名無し
『>まさか、15日に朝香宮司令官は南京(南京城内)に居た、とお考えですか?
僕は当然南京郊外に居たと考えていましたから、イキナリ(南京城内)に居たとお考えですか?と来るから、何処に居たのか当然知っていたものと思い、おたずねしました。要するに、あなたも知らないわけですね。
また、16日に南京には居たことになっているわけですが、こちらに対する解釈は?東京裁判の記述が間違っていると断定して良いのですか?』 (2007/09/23 02:06)



jujo
『>要するに、あなたも知らないわけですね。
いいえ。知っていますけど貴方に教える必要を感じません。
「当然南京郊外にいたと考えていた」と仰っていますが、貴方は9/21の時点では「15日から南京に居たことになっているわけだ」と述べていたはずでよね。
貴方の言う、司令部があった「南京郊外」の場所とは、南京の中なんですか、外なんですか? 司令部があった場所が「南京の中」でない場合は、貴方は話をすり替えていることになりますね。
つまり「南京郊外」でかつ「南京の中」である場所に司令部があったことを、まず貴方が示す必要があります。どうぞご呈示ください。』 (2007/09/23 02:29)



jujo
『ちなみに、12月15日時点の上海派遣軍司令部のあった場所は入門書にも書いているような基礎的な事柄です。その程度のことも確認せず「南京に居たことになっているわけだ」などと書いてくるようないい加減な人間に、教えてあげる義理はないと判断しました。』 (2007/09/23 02:44)



名無し
『いや、普通に湯水鎮(湯山)にあった訳でしょ。南京郊外にあった司令部を訪問するのに「南京訪問」と言うのは普通じゃないのかな。それを南京城内に限るみたいに言うからからかいたくなるんじゃないの(笑)』 (2007/09/23 03:28)



名無し
『jujo氏は真実を知らしめるのを目的とせず、単に相手を論破するのを目的としているとしか思えない。そういう意味では、ワシ氏とどっこいどっこいじゃないのかね。 jujo氏とワシ氏の共闘と言う珍しいものがが見られただけで良しとします。もう少し知識を深めてくれるかとも思ったのですが、ある意味予想通り。貴方との議論は時間の無駄ですので私はここら辺で引き上げさせて頂きます((C)青狐)』 (2007/09/23 03:42)



jujo
『おいおい、湯水(山)鎮は南京城から30キロ離れているんですよ。東京から千葉、取手、大宮、所沢くらい離れてるし、行政的にも南京市でないのに、「南京訪問というのが普通」ですか。詭弁にしか聞こえませんけど。』 (2007/09/23 03:47)



jujo
『日高証言=偽証という印象操作をしようとして、南京城の30キロ東(東京と大宮くらい離れている)場所を「南京」だと言い張って。トリックがばれて退散、と受け取らせていただきます。さようなら名無しさん。』 (2007/09/23 04:02)



名無し
『おいおい、『「南京市江寧区」とありますから、当時でいえば南京特別市の江寧県にあたるんでしょうかね。』 ってお仲間が書いとりますがね。間違いだけ訂正しておきます。』 (2007/09/23 05:03)



名無し
『すまんすまん、参照元を書いていなかったな。本当にこれで終わりにするよ。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061206/p1』 (2007/09/23 05:17)



※追記。矛盾が矛盾で無くなったのに気付いてなかったようで...(23日 21:38)


jujo
『南京特別市って確か関東地方の半分くらいの広さがあるんですよ。私の言う南京市(行政上の区分です)は、城区と3つの郷区までですから、江寧区は当然含まれません。いずれにしても南京城より30キロ東の農村部にある湯山鎮に司令部はあった。そこを日高が「南京」とみなさないのは全く不自然ではないのに、「南京訪問というのは普通」などとトンデモを言い張った名無しさん、さようなら。』 (2007/09/23 10:14)



ワシ。
『↑:ほらね?重箱の隅が丸くなるほど突っついてるだろ?』 (2007/09/23 10:20)



名無し
『後は十条氏の苦しい言い訳を見ながらにやにやして様と思ったら、まさかワシ氏に背中を撃たれるとは思わなかった。苦し紛れに詭弁を弄する十条氏が優勢に見えるんですかアンタは。
そもそも、俺が示したリンク先の記事とコメントを十条氏が読んだの?
十条氏よ、ワシ氏はアホだと思うけど、俺はお前さんを軽蔑するよ。』 (2007/09/23 11:46)



ワシ。
『だったら徹底的にやれよ!ワシは止めんよ?
ワシから見たら、“どっちもどっち”「木を見て森を見ず」だ。

そんな「日付け違い」「エリアの違い」を突っ込んでどうするの?
南京大虐殺』の本質から、あまりにもかけ離れてるだろう?
お前等は、「同じ穴の狢」に過ぎん・・。』 (2007/09/23 12:06)



jujo
『>俺はお前さんを軽蔑するよ

ああ、そうですか。南京城の東30キロの農村部、当時の南京市の外側(貴方の言う「南京市江寧区」は現在の南京市の区域であり、当時の区域ではない)、東京と大宮くらい離れていた場所に司令部は置かれていたのに、「南京訪問と考えるのが普通」などと主張するのはトンデモだよと指摘しただけですけど。

それにしても、最初「ここら辺で引き揚げさせて頂きます」と言ったのに戻ってきて、次は「本当にこれで終わりにするよ」と言ったのにまた戻ってきて、言葉に重みがない人ですね。軽蔑に値するのは私と名無しさんのどちらか、ご自分で振り返ってみたらいかがですか。では、三度目になりますがさようなら。』 (2007/09/23 15:46)

長い論争の中で、この「矛盾点」に気付いたのは、きっと名無しさんだけでしょう(笑)


しかし「あんたらアホでしょ。」みたいな啖呵を切っておきながら、
自身の勘違いに気付いた後に、
ワシ。さんや十条さんに謝罪がないのは残念ですね。