南京事件アンケート項目

三派合同 大アンケート」 の質問項目です。


1 南京事件で、日本軍が虐殺(不法殺害)した中国人の数は何人ぐらいと見るのが妥当でしょうか。
(1) 三十万人以上
(2) 約三十万人
(3) 二十万〜三十万人
(4) 約二十万人
(5) 十数万人
(6) 約十万人
(7) 七万〜九万人
(8) 五万人前後
(9) 二万〜三万人
(10) 一万人前後
(11) 数千人
(12) 限りなくゼロに近い
(13) その他 (  人くらい)


2 その被虐殺者の範囲について。
(1) 旧日本軍は中国を侵略したのであるから、南京事件における中国側の死者はすべて被虐殺者である。
(2) 侵略戦争だったかもしれないが、中国側の被虐殺者数に通常の戦闘行為による中国軍戦死者を含めるべきではない。
(3) 中国軍戦死者の中には、軍服を脱ぎ捨てて安全区に逃げたものの、日本軍にみつかり処断された者も多く、これらは虐殺には入らない。
(4) その他


3 いわゆる「南京事件」は時間的に、いつからいつまでの出来事とお考えでしょうか。
(1) 日本軍が上海戦を制し、南京へ敗走する中国軍の追撃を始めた昭和十二年十一月中旬から、南京での残敵掃討をほぼ終える昭和十三年一月末まで(二ヶ月余りの出来事)。
(2) 南京が陥落した昭和十二年十二月十三日前後から、南京での残敵掃討を終える昭和十三年一月末まで(約六週間の出来事)
(3) 南京陥落の昭和十二年十二月十三日前後から、松井石根大将らの入城式が行われた同月十七日まで(数日間の出来事)。
(4) その他


4 南京事件は地理的に、どこからどこまでの範囲の出来事とお考えでしょうか。
(1) 日本軍が上海戦を制し、南京へ敗走する中国軍の追撃を始めた蘇州・無錫付近も含まれる。
(2) 日本軍が南京を陥落させる直前に激戦があった紫金山など南京郊外も含まれる
(3) 南京市内に限定される。
(4) 避難民らが殺到した南京の安全区に限定される。
(5) その他


5 「南京事件」における「虐殺」とは、どのようなものとお考えでしょうか。その定義をご教示下さい。


6 安全区に逃げ込んで潜伏した中国兵は便衣服(平服)に着替えていました。その中国兵士を便衣兵とお考えですか、正規兵とお考えですか。それとも、市民とお考えですか。
(1) 便衣兵である。
(2) 正規兵である。
(3) 市民である。
(4) その他


7 前問で、便衣兵とお答えの方にお訊ねします。
戦時国際法によれば(信夫淳平氏『上海戦と国際法丸善 昭和七年刊行 百十三頁)、便衣兵は「一般市民と識別し難き服装にて本邦人の多数に居住する方面に潜入し、多くは民家に隠れて(略)突如多くはピストルを放って対手を狙撃するもの」と記述されていますが、陥落後の南京の中国兵士はこれと同じとお考えでしょうか。


8 日本軍の処刑を国際法違反と明記している確証ある史料がもしあればご提示下さい。
なお、史料は第一次史料(事件発生当時、事件発生場所で関係者の作成した記録)、第二次史料(事件発生から時間的に遅れて、事件発生場所で作成された関係者の記録)のみでお願いします。但し、第一次史料と第二次史料をもとに作成された第三次史料以下の場合は、十分な裏づけをもってご提示お願い致します。


9 南京事件における日本側の松井石根大将の責任について、どうお考えでしょうか。


10 同事件における中国側の唐生智将軍の責任について、どうお考えでしょうか。


11 いわゆる「南京大虐殺」は、日本ではいつから言われ始めたとお考えでしょうか。
(1) 昭和十二年の南京戦の直後から。
(2) 東京裁判以降。
(3) 朝日新聞が「南京大虐殺」などについて「中国の旅」というタイトルで連載した昭和四十年代後半から。
(4) 教科書の記述が「侵略→進出」に変更させられたという報道で揺れた昭和五十七年以降。
(5) その他


12 南京事件の象徴的出来事として知られる向井・野田少尉の「百人斬り」は、事実であったとお考えでしょうか。


13 アイリス・チャン氏の『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』をどう評価されますか。


14 「南京事件」当時の安全区委員長のジョン・ラーベ氏(ドイツ人)の日記『南京の真実』はどう評価されますか。


15 「南京事件」に関して、日本の歴史分野の教科書の記述はどうあるべきでしょうか。


16 「南京事件」は、ナチスホロコーストに匹敵する犯罪か、それとも通常の戦争行為か、戦争行為としてかなりの行き過ぎがあったか、少し行き過ぎがあったか、どうお考えでしょうか。


17 最後にいままでご回答いただいた項目につきまして、いわゆる「南京事件」についてのあなたの評価は、以前と今とでは変化がありましたでしょうか。
また変化があるとしたら、どういう点(例えば死亡者の数の評価等)であったかご教示いただければ幸いです。またその変化がどのような理由(書籍、新たな事実の発見等)からであったかもあわせてご教示下さい。また、南京事件を考える上で参考になる重要な著作がありましたら、ご指摘ください(五冊まで)。