柳沼和也(仮名)


南京陥落後一週間企画


収録 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』・・・第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 小野賢二、藤原彰本多勝一 大月書店


所属:歩兵第65連隊第7中隊・編成
階級:上等兵
住所:福島県
職業:農業
入手経路:本人から 
日記の態様:表紙に「陣中日誌」と書かれた縦10センチ×横8センチの手帳。縦書き。


日記 P166〜167 ※誤字訂正。×は編者による伏字。

十二月十三日
 前進前進してやっと或る部落まで進んだ、此所までは丁度夜の明け近くに着いたが大休止で食事の用意をして休むだけ、明日早く出発だと言ふが宿舎で危く火災起す所であった、これが二度もある。


十二月十四日
 出発して直ぐに八中隊で敵に山から手榴弾を投げられて戦士一、負傷者を出す、南京も目の前になる、明け方になったら前衛の第三大隊が支那兵を捕虜にして置いた、居るわ居るわ全部集めて一部落に収容したが其の数およそ一万七八千と数へる、第五中隊が幕府山攻撃をして完全に占領する、そのために両角部隊が南京攻略の戦史にのったのだ、軍旗中隊となり夕方支那軍の水雷学校に宿舎を取る。


十二月十五日 晴
 何する事もなくして暮す。
 其の辺の敗残兵を掃蕩に出て行ったが敵はなくして別に徴発して来た、支那饅頭うまかった、十六師団が敗残兵を殺すのを見たが惨酷だったと聞く、英国の会社には電灯もついたりして日本軍の手がつけられない言ってた。


十二月十六日 晴
 朝八時に出発して小隊長殿が先頭で南京城に見学に入る、夕方下士哨があるから明日の入城式に出られないためだ。
 城内は仲々荒れて居たが仲々大きな町だ、敵都南京全く目ざましい、町中には何んにもなし、夕方帰って来て直ぐに下士哨に立つ、二分隊では××××君と津島さんが残る、××××君が第四次の補充で入って来る。


十二月十七日 晴
 四交代の歩哨であるからゆっくりと休まれる、日中は単哨え夜間は複哨である。
 工兵隊はトウチカを爆発させたり、南京の攻撃に一つの印象を残して居る。
 夜は第二小隊が捕虜を殺すために行く、兵半円形にして機関銃や軽機で射ったと、其の事については余り書かれない。
 一団七千余人揚子江に露と消ゆる様な事も語って居た。


十二月十八日
 一日休養する。
 昨日から一昼夜の歩哨で殆んど寝て終る、足の小指の痛みも未だなおらない。


十二月十九日 晴
 今日も別に大した仕事もなし、第三小隊は一昨日の支那兵を取り片附けるに行ったが自分は足が痛いので残る。
 皆これを片附けるに面白いとの事であったと。