大内利己(仮名)


南京陥落後一週間企画


収録 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』・・・第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 小野賢二、藤原彰本多勝一 大月書店


所属:歩兵第65連隊第9中隊・第3次補充
階級:不明(一等兵か?)
住所:福島県
職業:不明
入手経路:遺族かよ 
日記の態様:
 縦11.5センチ×横7センチの手帳。縦書き。


日記 P267〜269 ※誤字訂正

十二月十三日 月 晴
 相変わらずである。
 酒保に遊に行くと佐藤君に逢い会食を行なつた、其時に我聯隊の者に逢戦況を聞いた、両角部隊一週間前に江陰出発、南京攻略に邁進との事、又新聞に寄ると江陰の東方約五里鎮江の図山砲台攻撃に両角田代両部隊奮戦中と記載されてあつた。
 本日午后三時南京陥落せりの報電あつた、不落とほこれる南京首都も皇軍には勝てず落城した、苦戦にて犠牲者も多大の事であらう、気の毒に思、近頃は原隊復帰者もあるに付き、収容患者少ないため病院も大変楽々となつた。


十二月十四日 火 晴
 今日は待に待たる陥落祝式余興が行なわれた、十時四十分広場に集合、式を執行され、宮城遥拝国歌合唱、伊佐部隊長の祝辞後余興が行ないた、隊長の祝辞は一言一言に各戦況が現れ永遠に忘る事が出来ぬ感がした、余興は四時半迄に終られしも各人の芸及看護婦達のあざやかな芸に一日を愉快に意義深き事を味あうことが出来た、今日の下給品は色々とあり又紅白餅が祝品として戴いた。
 皇軍万歳
 武運長久を祈る


十二月十五日 水 晴
 今日はすでに十五日と成つたが原隊復帰は出来ぬ、十二月も半月病院にて暮した、毎日病院生活はいやとは思いしも又足も完全とは療らず、いやが上にも致方なし、来る二十日には是非復帰を神に祈つつ一心に治療を行なつた、大場隊には原隊復帰者が沢山出た、同部隊の高橋少尉に又、双葉郡の吉田戦友が復帰せられた、今日はサイダ一本に梨一ヶ菓子一箱と下給品沢山戴いた、夕刻のニュースに依と我山田旅団部隊は揚州の一角を敵前上陸の事、戦友達は苦戦苦斗の事であらう、今日も一日とつぷり暮れた。


十二月十六日 木 晴
 今日は煙草の下給があった。
 毎日晴天にて気持がよい、外に日光浴も又楽しい、昨夜は随分眠らうとするも眠る事出来ず、今朝二時半まで居た、其の間色々郷里の事が想像され夢の如くに目前に現れた、眠に付ぬも不愉快なものである、明て一日無事に暮された、大場隊の患者も大方復帰され大変に患者数も少なく成つた、上海より蘇州間汽車が通行出来る様になつた、原隊復帰者を乗、輸送の如く聞、自分も一安心が出来た、復帰も四日目と迫り来た。


十二月十七日 金 晴
 毎日例の如くの生活である、今日は二三日振にて入浴した、大変気持ちがよかつた、今三日なるも足が完全ならず閉口である、夕食後は頭の毛を刈り其後炊事の人達に上海の事変の勃発以来の話しを聞き、実に感無量の点であつた、尚一方是れに対し非常に同情し避難民に感激の涙がそそがれた。


十二月十八日 土 曇
 今日は朝から曇りである、今日も煙草とビスケット二包みにかるけつとを戴き皆で嬉しく御馳走に成つた、相馬出身の佐々木忠雄君に逢た、自分と同中隊の者である、一緒に復帰を希望していた。


十二月十九日 日 曇天気
 近日寒さが身に浸る様になつて来た、毎日平凡の生活である、自分と宮城県出身の桜井君は一緒に復帰する事にし、五八聯隊の境少尉に依頼し二十一日に決定した、足の痛も大変楽に成り、歩行も出来るかと思ふ、其日を楽しみに待つ。