近藤栄四郎


南京陥落後一週間企画


収録 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』・・・第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 小野賢二、藤原彰本多勝一 大月書店


所属:山砲兵第19連隊第8中隊・編成
階級:伍長
住所:新潟県
職業:地方公務員
入手経路:遺族より
日記の態様:縦11.5センチ×横7.5センチの手帳。縦書き。


日記 P325〜326 ※誤字訂正。

十二月十三日
 今日も十三師団は相変ず前進、今日も設営に出て或部落を設営したるも急に前方に変更になりどうにか設営の任務を終る、寒家巷。
 俺の設営には満足の設営をなしたるは今晩位のものである、南京攻撃もあと五、六里に接近した、敵兵近きとの事。
 明日は戦闘をして入城出来得るか、明日の出発は午前四時半、将校斥候と同道すべく命ぜられ準備する。


十二月十四日
 午前四時起床、鞍を置き直ちに出発する、道路暗くて而も寒い、前進して午前八時頃敵の降伏兵の一団に逢ひ敗残者の悲哀、武装解除に珍らしき目を見張る、更に数団、全部にて三千名に達せん、揚子江を船で逃げる兵を小銃軽機にて射撃するのも面白し、南京も目の前に南京城を見て降伏兵の一団を馬上より見下すのも気持が悪くない、南京牧場宿営、女を混じへた敵兵の姿。


十二月十五日
 出発命令なく午前御令旨及訓示の伝達式あり。
 午后、米徴発に行く、幸に南京米が沢山あつたので六本駄馬を持つて取つて来る、支那の工兵の材料集積所らしい。


十二月十六日
 午前中給需伝票等を整理する、一ヶ月振りの整理の為相当手間取る。
 午后南京城見学の許しが出たので勇躍して行馬で行く、そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る、丁度見本展の様だ、お蔭で随分酩酊した。
 夕方二万の捕虜が火災を起し警戒に行つた中隊の兵の交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
 月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、一生忘るる事の出来ざる光景であつた。


十二月十七日
 今日も一生忘るる事のなき日だ、南京入城式参列、午前九時出発にて中隊の半数参加す、幸に参加出来て嬉し、午后一時半より開始され沿道整列、松井軍司令官の閲兵あり、其他多数の参謀及幕僚には驚く、夕方徴発しながら帰る。
 丁度野戦病院開設しありたるにより家と役場と本地と康と収様へ手紙出す。
 記念スタンプを押捺して来る。


十二月十八日
 今日はまだ出発命令なし。
 今日も [以下記述なし]


十二月十九日
 給儒伝票を整理して大隊本部に提出する。
 午后渡河準備の為港へ行く、寒くて閉口する。
 明日は愈々渡河して進軍だ。