南京戦史編集委員


PCのファイルを整理していたら、
日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の南京問題小委員会がまとめた、
『南京問題小委員会の調査検証の総括』というPDFファイルをみつけた。
戸井田とおるHP活動報告(平成19年6月21)にあったもの。
まだ読んでなかったんですが。読んでみると、内容は質の悪い否定論といった印象。
その中で少し気になったのは以下の記述。強調は引用者。

『偕行南京戦史』とは何か*1
 南京戦史は1980年代の朝日新聞などの「南京大虐殺」大キャンペーンに対して、南京攻略戦に従軍した将兵が中心になって編集したと一般的に認知されているが、その実態は違う。その編集委員の中に戦場を知らない者が入っていた
 その実態は『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定氏が「南京事件を旧陸軍の罪業の一つと位置づけて旧軍の罪業を暴き、虐殺の数字を検証して日本軍は南京で何万あるいは何千人を虐殺したかを明らかにする事と南京戦史を書く目的とする委員と戦史を書く事によって戦争の本質と戦場の実相を明らかにして南京事件とは何かを問おうとする委員とに分れたため、総括者が両者の極端を捨てて、ほど良いところをとる所謂折衷方針によって編集を指導した。参戦した委員と戦争を知らない委員との史観は相反した。」と述べている。
 このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ以上のものでものない。

 
編集委員に関しては
『南京戦史』の「はじめに」に、
高橋登志郎氏*2によって次のように記されている。

六、執筆、編集に関係された方々
南京戦史編集委員会の委員の方の当時の職名及担当された事項は左の通りであります。(継承略)
 
  名前  期   南京戦当時の職名     主として担当した事項
登川幸太郎(42) 陸軍大学校三年学生     本史全般の構想、史観
畝本 正己 (46) 独立軽装甲車第2中隊小隊長  原稿、案文の執筆
土屋 正治 (46) 9D、19i、第4中隊長     9D関係
犬飼 総一郎(48) 16D、19iB 通信班長     16D関係、兵要地誌
鵜飼 敏定 (48) 6D、通信隊小隊長      6D関係
春山 善良 (48) 11D、11P 小隊長      本書全般の調整、修補
松岡 二郎 (54) 予科仕官学校生徒      資料の整理
板倉 由明                     第三国情報特に国際委員会、その他内外の資料との照合、実証等
細木 重辰 (55)                 全般の進行、編集、製作、注釈、年表
 
なお各委員はその担当のほか、お互いに監修、校閲に当たり、また資料の蒐集、解読、解説、注釈等にも当りました。
 委員九名のうち板倉氏は部外の方でありますが南京戦「南京事件」の研究家で、当初より私共に資料、情報を提供して戴いている方であります。また委員以外の方で防衛研究所戦史部の原剛氏より史料の面のみに止まらず、戦史の専門家として史実全般について適切なご協力を頂戴し、また退官後戦史の研究に専念しておられる、元統幕議長・衣笠駿雄氏(48)から、細部に到るまで貴重な御助言を戴きました。
 なおその他、左の方々のご協力を戴きました。(敬称略)
 藤江義一(45) 鈴木弘道(53) 常光定吾(56) 豊嶋克之輔(小23)
 村野新一(56) 津野正夫(56) 小出義夫(56) 辻 奐児(60)
 石光 治(60)
 また多くの部隊従軍者から貴重な資料、証言を戴きましたが芳名は省略させて戴きます。
 最後に長い間貴重な時間を割かれ、御協力を戴いた前記委員会及び其の他の方々、とりわけ部外の板倉由明氏、原剛氏の御協力に対し、責任者として心より厚く御礼申し上げます。
平成元年十一月

 
このメンツを見ていくと、
「戦場を知らない者が入っていた」「戦後のイデオロギーが混入した」と批判されているのは、恐らく板倉由明氏のことだと思われます。その他、南京戦不参加者も対象なのかも知れないけど、参戦者しか戦史が書けないなんて話は理不尽すぎ。
そもそも言いだしっぺの畝本正己氏ですら虐殺の事実を認めているのに、第六師団関連担当の鵜飼氏の不満を持ちだして全体を否定してみせようとするのには、相当に無理を感じます。
 
秦郁彦氏の『昭和史の謎を追う〈上〉』には次の記述があります。

 偕行社内には、南京事件のような政治的テーマをとりあげることに異論もあったようだが、結局は社の事業として取り組むことになり、『偕行』の八三年十月号に小林理事長の名前で「南京問題について緊急お願い」を掲示し、会員に協力をよびかけた。
 とくに南京戦に参加経験のある会員に期待して「『12月○日○時頃、○○部隊に所属して○○付近にいたが、そのようなことは何も見なかった、聞いたこともない』ということなどを寄せて欲しいと要望したが、傍点の部分をわざわざゴチック活字を使って強調している。シロの証言が欲しい、という期待感が丸見えといわれても、しかたあるまい。

こんな感じで、そもそも「南京事件がシロ」であることを証明するために始めた企画が、証言や資料が集るなかで、否定できなくなったというのがコトの真相。戦後生まれでニワカ知識の国会議員ごときが簡単に駄目出しできるレベルの話ではないのです。編集委員たちの編集過程での心の葛藤を斟酌してあげることこそ真正保守(笑)なのでは?と私などは思います。


ついでに、板倉由明氏は、史料改竄常習者こと田中正明氏の松井日記改竄を告発した人物であり。また『ラーベの日記』を三等資料扱いしていた東中野修道氏に対しても批判を加えていた人物。戸井田とおる議員のブレーン水間政憲*3あたりには面白くない存在だったのかも知れません。
 
 
来年は1985年周辺&田中正明センセイをも少し深堀してみたいかなと考えてます♪
では良いお年を!
 

*1:23ページ

*2:南京戦史編集委員会代表

*3:照明専門家で、田中正明氏の弟子