南京事件に関する検察側証拠に対する弁駁書

笠原十九司南京事件論争史』P77-78

4 否定論の原点になった弁護側の主張
 東京裁判における審理過程のなかで、弁護団側は当然の任務として、検察側の立証に疑義をはさみ反論を展開した。そのまとめといえるのが、弁護側最終弁論で弁護側が法廷に提出した付属書「南京事件に関する検察側証拠に対する弁駁書」である。
 (中略)
 このときの弁護側の弁駁の主張の少なからぬものが、現在では南京事件そのものを否定するための根拠につかわれている。南京事件否定論者たちは、すでに東京裁判の審理において否定された弁護側の主張を相変らず受け売りしているのである。
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ということで『日中戦争史資料〈8〉南京事件』P368-373 から該当箇所を抜粋。

附属書
 
  南京事件に関する検察側証拠に対する弁駁書 
 本書は、南京事件に関し検察側より提出されたる書証及人証につき、法廷がその証拠価値を判定せらるる便宜の為め、弁護人としての意見を弁明するものなり。
 
 証人ロバート・オー・ウィルソン証言(1)
  (1) 英文速記録二五二七 <頁> 以下
 証人の証言せる事実は全く伝聞せるものであり、証人の伝聞せる相手は二人を除いては如何なる人より伝聞せるか、その氏名も明瞭ならず、又、日本兵による不法行為なりと云ふも、何時、何処で如何なる兵により為されたものなるや不明なり、かかる証言は、証拠として信憑性を認むべからざるものなり。
 却つて日本軍は南京に於ける療病施設の不充分なるを見て、医薬品その他を中国人に給付せる事実ある(2)に拘らず、之に反する傷病者を送り出すが如き行為ありとは信ずることを得ざるものなり。
  (2) 法廷証三四○一号・英文速記録三二六八四頁
 
 証人許伝音証言(3)
  (3) 英文速記録二五五六頁以下
 本証人は多数の事実を挙げて日本兵不法行為を証言し居るも、多くは伝聞証言のみ。
 又、多数の中国人が連れ去られ、その行方を捜索したるも判明せざるに、翌日すぐ近くの建物内に之を発見したりと証言せるも、すぐ近くの建物内に多数の中国人が居るに拘らず、之を発見し得ざりしとなすは、自らの供述に不信を吐露するものなり。
 本証人は紅卍字会員として屍体の埋葬数も証言せるも、この点に関しては法廷証三二四号・同三二五号・同三二六号に対する弁明の節に於てその措信し得べからざることを明らかにすべし。
 更に本証人は南京に於て安全地帯なるものが日本側の承認により設定されたことを証言し居るも、日本軍は上海に於ける南市の場合と異なる状況の下にありたる為め、南京の安全地帯は之を正式に承認せざりしなり(4)。かかる明瞭なる事実を本証人は強ひて自らの有利なる立場を作らんとする為か、又は事実の不知に基くか、重大なる虚偽を供述せるものなり。
  (4) 法廷証三二九号・英文速記録四五九三<頁>
 又、日本軍の上官は軍紀・風紀の維持につき最善を尽さざりしことを断定し、一つの布告も出されざりしことを供述せるも、松井大将の取りたる事前・事後の措置は弁護側証拠により明瞭にして(5)、規律の維持に関する布告の掲示せられたることは検察側証拠によりても之を見ることを得、本証人の申立の虚偽なることを明らかに居れり。
  (5) 法廷証三四○二号・英文速記録三二六八八頁
 要するに、本証人の証言は戦後に於ける風聞を誇大に評価して、以て本証言になしたるものにして、之を措信し得べからざるものなり。
 
 法廷証二○六号=尚徳義陳述書(6)
  (6) 英文速記録二五九九頁
 本証人は一九三七年十二月十六日、難民地区内より中島部隊によりて下関に拘引さられたりと陳述せるも、当時、中島部隊は下関地区を警備し居るも、難民区を警備し居らず、他部隊によりて警備せられ居たり(7)。従つて中島部隊の兵が難民区に於てかかる不法行為をなす筈なし。又、下関は彼等の警備地区外であるから、他部隊の兵士が下関に本証人を拉致する筈なし。
  (7) 法廷証三三九八号。英文速記録三二六二五頁
 
 法廷証二○七号=伍長徳供述書(8)
  (8) 英文速記録二六○三頁
 本証人は西大門外にて日本兵により射殺せらるる処を免れ、門外に十日間潜伏し、後、門内に入り大学病院にて手当を受けたりと供述せるも、各門は日本兵により厳重に警備しありたる当時、負傷せる証人が潜入せりと云ふは措信し得ざるものなり。
 
 法廷証二○八号=陳福宝供述書(9)
  (9)英文速記録二六○八頁
 本証人は日本兵により三十七名の中国人が殺され、その屍体を処理したと供述し、その後にこの事実は朱大佐が説明してくれたことだと附言し、論旨矛盾し居り、その他の供述事実も何処で誰が被害を受けたるか明瞭ならず、時間的経過に於ても不明・矛盾の点あり。
 
 証人ドクターM・S・ベーツ氏証言(11)
  (10) 英文速記録二六一六ページ以下
 本証言は甚だ漠然たる抽象的陳述にして、宣伝其他の悪意を以て、伝聞的事実を整理・供述せられたるものと推測し得。
 
 証人ジョン・G・マギー氏証言(11)
  (11) 英文速記録三八四六ページ以下
 本証人は多数の不法行為を証言し居るも、結局、現実に目撃した事件は殺人事件一、強姦事件二、強盗事件二、計五件に過ぎず、他の事実は全て想像又は伝聞なることは、弁護士の反対訊問により明瞭となり居れり(12)。
 彼の証言中、右五件を除く外は、単に中国人が集合せるを実見したこと、又は伝聞による不正確なこと、数字等が殆んど確定せず、供述事実につき場所の指定、氏名の指示もなし。
  (12) 英文速記録三九三九ページ以下
 尚、市内に多数の屍体あり、通行障害となりたる事実をも供述せるも、弁護側証人の供述によれば、かかる多数屍体を見たる者なく、日本軍は入城と同時に所謂戦場掃除をなし、松井大将の入場の時には屍体は殆んど存在せざりしものにして、本証人の供述は宣伝的内容に充満し信憑性なし。
 
 法廷証三○七号=ジョージ・A・フィッチ氏口述書(証人出廷せず)(13)
  (13) 英文速記録四四六○頁以下
 本証人の証言内容も頗る抽象的・煽情的なるものにして、事実を確認し得るものにあらず。只、中国人の集団を見たといふに過ぎず、彼れは単に、彼<れ>が連れて行かれるを見た人々は、射殺されたるべしと結論するのみで、彼れは其の人々が射殺されたとは言はざるなり。
 屍体を見たりするも、その何人の行為によるものなりや、之を確認するに由なし。
 火災については兵隊によりて放たれた大火が荒れくるひたりとあるも、日本兵の放火なることを現認せる事実なく、検察側ベーツ証人の証言によれば、大きな火事はなかりしことを認め得る(14)次第にて、これ又、本証人の煽情的記述にして信憑すべき事実にあらず。
  (14) 英文速記録二六一六頁以下
 
 法廷証三○八号=陳瑞宝女史口述書(証人出廷せず)(15)
 本供述書には数多の日本兵不法行為と見らるる事実を挙示せられあるも、其の文章より判断して伝聞せる事実、殊にヴァウトリン女子よりの伝聞と覚しく、事実の指摘は凡て抽象的にして之を反駁すべく、調査の手掛りなし。かかる誇張せられ、興味的内容は証拠として信憑すべき限りにあらず、本証の内容事実は寧ろヴァウトリン女史をして供述せしむべきものなり。証人は日本兵が全部を通じて競技の様に放火したりというふも、その証言の如き手段にて放火が為されたりとせば、南京は烏有に帰したるべきに拘らず、事実は左の大部分は旧態依然たることを見れば、その証言内容が虚構・宣伝的なることを察し得べし(16)。
  (15) 英文速記録四四六三頁以下
  (16) 英文速記録三二六八三頁・法廷証三四○一号
 
 法廷証三○九号=J・H・マックラカラーム氏日記(証人出廷せず)(17)
  (17)英文速記録四四六七頁以下
 本証の内容も凡て報告による伝聞又は想像にして、日本兵の現行犯罪を目撃したる事実なし。中国軍も退却に際し殺人をなし、掠奪をなし、又放火をなしたることは検察側証拠も之を認む<る>所なり(18)。屍体の存在、掠奪の結果のみを見て、之を直ちに日本兵の行為と断定するが如き文章は事実の正確なる記載と見るべからず。本証の内容事実の大部分はこの理によりて判定すべきものにして、現認されたりと見せらるる事件は数件にすぎず、その数字の如きは全く措置(信)すべからざるものなり。
  (18) 法廷証三二九号・英文速記録四五九ニ頁
 
 法廷証三一○号=孫永成氏口述書(証人不出廷)(19)
  (19) 英文速記録四四八三頁以下
 本証人は日本軍により一万名の中国人が射殺されたることを証言せるも、何時・何処で為されたるや不明なり。河の堤の上と指示せるも、何河のいかなる地点なりや明かならず。且証人の算定したりとする一万名の数も、仮に事実としてこの現場を想像すれば、混雑・乱離の状態なるべければ、かかる際に一万名の頭数を算定するは不可能なるべし。要するに、この証言を支持するに足る事実殆ど存在せず。
 
 法廷証三一一号=李滌生氏陳述書(証人不出廷)(20)
  (20) 英文速記録四四八五頁以下
 本証人は目撃せりといふ日本軍の不法行為を数点挙げ居るも、本証人は当時十八歳の少年なるが、十二月十五日より三十日頃迄には下関にあり、二十三日には北京路に居り、二十七日頃には上海路にありたり。検察側の立証せんとするが如き恐慌の時なりせば、十八歳の少年のかかる地区を点々と流浪すべき事想像し得べからざるなり。
 
 法廷証三一三号=吾経才氏陳述書(証人不出廷)(21)
  (21) 英文速記録四四九一頁
 本証人は日本軍の略奪の事実を陳述せるも、その内容を点検するに、如何なる品を如何にして、何処へ運搬せしや不明なり。弁護側証拠によれば、当時軍用の為定められたる方式により徴発をなしたる事実存在す。(22)
  (22) 法廷証二五三七・記録二一四四六-七<頁>、法廷証三四○一・記録三二六八一=三二六八三<頁>
 この証人の証言事実は、かかる正規の方法によりて日本軍が搬出せる事実を誤解し居るものなり。又、幕府山附近にて中国人の屍体を見たりと陳述せるも、同地附近は戦闘地域なるにより附近に戦屍体の存在は当然なり。それのみを以て、之が日本軍の不法行為の結果なりと即断し得られざるなり。
 
 法廷証三二三号=安全地区文書(24)
  (24) 英文速記録三五○八頁以下
 本文書に示されたる数多の日本兵の不法事件の存在は確定的なる現認せられたる事実にあらざることは、文書自体明言せる処なり。勿論その中幾つかの事件は存在したるべきことは、松井大将に現に報告せられたる不法事件の存在することよりするも、之を容認すべきも、多くの事件は現地警備の日本軍指揮官の否認する処なり(25)。
  (25) 法廷証三三九八号・英文速記録三二六二一頁以下
 而して所謂安全地区委員会よりの抗議書なるものは、日本領事館に提出せられたりとあるも、松井大将の司令部は勿論、松井司令官にも何等かかる報告の寄せられたることなく、松井大将は寸毫もかかる数多の事件を関(聞)知したることなし。大将自ら最善を尽して部下統率の責任を果したることは、証人によりて明かにせられあり(26)。
  (26) 法廷証二五七七号・英文速記録二一八八六頁以下
 
 法廷証第三二四号=南京地区裁判所付検察官報告・同第三二五号=崇字埋葬隊(崇善堂埋葬隊)に依る死体埋葬数の表・同第三二六号=紅卍字隊(紅卍字会埋葬隊)に依る死体埋葬数の表・同第三二七号=南京地区法院検察処敵人罪行調査報告(27)
  (27) 英文速記録四五三六頁以下
 前記各証は南京が日本軍に占領せられて後、実に十箇年を経過したる一九四六年に調査せられたりと称せらるるものにして、その調査が如何なる資料に基き為されたるや判明せず。殊に死体の数に至りては十箇年後に之を明確にすること殆んど不可能なりといふべく、此処にかかげられたる数字は全く想像によるものと察するの外なし。
 さればこそ、之が占領に際して日本軍の苦闘は頗る激甚にして、此の戦闘に於て彼我の死者は他の戦場に比し多数に及びたり。従つて南京城の内外に当時、戦死体の存在したりしことは言はずして明かなり。然れどもその死体を以て直ちに日本軍による虐殺体なりとするは大なる誤なり。
 右法廷証に挙示せらるる死体存在個所は、主として主要城門附近・雨花台・花神廟、水西門外−上河、中山門−馬群、通済門−方山、或ひは上新河・下関の如く、何れも彼我の戦死者続出したる処なり。而して右法廷証の挙示せる地点にして、南京城内にある地点は前述攻防陣地の後方に属し、之が死傷者の収容箇所となりたる地点と察せられ、之より生じたる死没者が市内各所に埋葬せられ、後日に至りて本証の内容と為されたるものと察せらる。断じて日本軍の虐殺体にあらず。
 又、右証拠中、集団屠殺と称せらるる地点、例へば草鞋峡・漢中門・霊谷寺等の如きは、隘路口にして、此の種地点に於て行はるる追撃・退却戦闘の特に激烈悽惨を極むるは当然にして、死者又、集団しあることを想像しうべく、之を以て虐殺体なりと云ふは当らざること明かなり。
 法廷証三二七号中には日本軍入場後の集団屠殺二十余万人と称するも、当時、南京市内の住民が二十万前後なりしことは検察側証拠によるも明かなるところなるが、当時、城内の住民が全部虐殺せられたりと検事側証拠により判明するを以て、かかる誇大無稽の数字は到底措信すべからず、この証拠全部に通じその宣伝的内容を誇大に盛り上げたるものなることを察するに余りあり。
 次に此の証拠の数字につき特に作為せられ、措信すべからずと為す例を示すべし。
 法廷証第三二四号の表示によれば、崇字埋葬隊は一九三七年十二月二十六日より二十八日に至る埋葬作業に於て四○四箇の死体を埋葬し、一日平均一三○箇を処置せり。然るに一九三八年四月九日より十八日に至る間に兵工廠・雨花台の広大なる地域に於て二六、六一二箇の死体を埋葬し、一日平均二、六○○箇を処理せり、前後の作業を比較せば、その誇張・杜撰の信憑し難き表示なること明瞭なり(28)。
  (28) 法廷証三三九六号・英文速記録三二○九頁以下
 当時既に日本軍により清掃せられたる地域に於て、然も戦後五箇月を経過したる雨花台方面にかかる死体の存在する筈なきなり。その他、水西門−上河、中山門−馬群、通済門−方山に於ても同様なる矛盾を指摘することを得。
 前途の如き矛盾は又、紅卍字会の埋葬数に対しても之を指摘することを得。例へば一日六七二箇を処理することあり、又、九九六箇のことあり、然るに俄然、四、六八五箇(二月九日分)を処理し、五、八○五箇(二月二十一日)を処理せることあり。如何に作業人員に増減ありとするも、かかる莫大な差あるべき筈なく、結局、欲する数字を置きたるにすぎざるものと察せらる。
 又、崇字埋葬隊の数字中にはすべて男子・女子・小人と適当なる減少率を以て死体崇を記入しあるに拘らず、紅卍会(紅卍字会)の数字中には女子・小人は皆無なり。当時、非戦闘員は殆んど遁走しあり、戦場に残留するものなく、常識としても女子・小人が戦場に介在することは殆んど信ずること能はず。此の実験則に反する証拠は、是れ後年の為にせんとする作為と解するの他なし。
 更に計画的埋葬作業を為せるものとして本表を観察するに、紅卍会は下関魚雷軍営碼頭に於て二月十九日より二月二十二日に至る間、継続的作業をなせるが、その間、二月二十一日に五、二二六箇の死体を処理せるに拘らず、その前十九日には五二四箇、二十日には一九七個を処理せるにすぎず。計画的作業としては最初の日こそ処理数大にして漸次逓減すべき吾人の常識に反す。その他、煤炭港兵站処に於ける作業にしても、同様の矛盾を指摘することを得。
 其の他、検事側より提出せられたる南京不法事件に関する証拠にして、特にここに掲記弁明せざるものあり。例へば法廷証三一二号・同三一四号乃至三一九号・同三二○号・同三二一号・同三二二号の如きは証人の陳述書にして宣誓口供書にあらず。又、各証人は本法廷に出廷せず、従つて弁護側の反対尋問に応ぜざりしものなり。而してその内容たる事実は多く宣伝的誇張により粉飾せられあることは、吾人の常識によりて推察させるるを以て、之が証拠価値に関して特に裁判所の注意を喚起す。