石射猪太郎日記より

石射猪太郎日記 中央公論社 編者:伊藤隆、劉傑
日記の中から南京事件関連等、気になったところを抜粋。

昭和十二年


七月十七日 土
○而して東亜局長なる職が難儀な役目である事は予想して居た事であったが、
 今度の様な馬鹿げた北支事変にまき込まれ様とは是又夢思はなかった。
○而して又広田外務大臣がこれ程御都合主義な、無定見な人物であるとは思はなかった。


八月十三日 金
○上海では今朝九時からとうとう打出した。平和工作も一頓挫である。
 折角慰留民や邦商が芽が出そうになると砲煙弾雨にあらされる。長江筋の日本人も禍なる哉。
○夕方昨日の通り会合。処理要綱なるものを議す。海軍もだんだん狼になりつつある。


八月十四日 土
○海軍は南京を空爆すると云ふ。とめたが聴き相も無い。
○陸戦隊は日本人保護なんかの使命はどこかに吹き飛ばして今や本腰に喧嘩だ。
 もう我慢ならぬと海軍の声明。


八月十五日 日
○日本機昨夕杭州、広徳を空襲し敵に多大の損害を与へたと云ふ。尚今日午後南京を空爆した。
 台湾からと大村からと飛んだのだ相だ。台湾機は十八機中三機が犠牲。


八月十六日 月
○我海軍の杭州、南京、広徳等への空襲は新聞報道程大きな奏功はなく
 却って我方機に意外な損害が秘められて居るのであった。


八月十九日 木
○本日南京空襲により火薬庫及軍官学校をやったと海軍は云ふ。


八月二十日 金
○漢口空襲、どれだけの打撃を与へたか。


八月二十一日 土
○午前九時半にて日高君帰京を出迎える。時の英雄である。次官室及ニューグランドにて話をきき話をする。
 同君によれば国民政府は腹を据えて驚かない態度。空襲の日も南京は落ち着いて居た、
 最悪の場合をチャンと予想してかかって居ると。


九月十九日 日
○海軍機二百台近くこぞって今日南京を空爆したと云ふ。


九月二十日 月
○廿一日以後南京大空襲をやるから各国大使館慰留民は安全地帯に非難して呉れと
 第三艦隊長官(長谷川清・中将)から通告したら方々から抗議あり。
 地上作戦が進捗遅々なのに業を煮やした海軍。


九月二十二日 水
○昨日は広東も爆ゲキしたと云ふ。
 今日は三回南京を爆撃、結果はワカラない。


九月二十八日 水
○南京、広東の爆撃は頗る評判悪し
 アメリカ、イギリスの新聞は玆を先途に書き立てて居る。然し猫の首へ鈴をつける鼠は居ない様だ。


十月十日 日
○上海総攻撃開始された筈なのに新聞に報道なきはどうしたものか。


十月十五日 金
○上海から纏った戦況報告なし。
 北支の方は陸軍式にドシドシ工作を進めて行く。イクラ失敗しても之に懲りない彼等である。


十一月九日 火
蒋介石とロイテル記者との会談記新聞に報ぜらる。蒋曰く単独直接交渉は御免也、
 日本と約束しても日本は守らないから駄目だと。蒋に見限られたる日本


十一月十五日 月
○日本軍は更に福山方面より上陸、為にに選挙区大いに進み嘉定大倉は既に落ち、常熟、崑山も今日陥落と報ぜらる。
 之でも南京はまだ我慢して屈せぬだろう。然し蘇州が落ちたらもう降参しても好い時期になるだろう。


十一月十七日 水
南京政府武漢重慶へ分遷す。
蒋介石は南京を死守すと報ぜらる。
 彼は戦死か自殺であろうと思ふ。
 今更下野外遊の途を取るなら彼の価(値)打がさがる。玉砕より外に生くる途は彼に無い筈だ。此我輩の予想はアタルや否や。


十一月十八日 木
○もう南京は日本と媾和に出て来ないであろう。そうなれば時局収拾プログラムは簡単になる。
 駆兵占拠だ。
 然し実質は六ケ敷くなる。支那問題は解決せず、又数年は苦心惨憺だ。


十一月十九日 金
南京政府は最早直接交渉に出て来る見込なし、斯くなる上は最下策にでるより外致方なしと腹をきめ、新対策の考察に着手す。


十一月二十二日 月
南京政府の対国民公表に曰く、飽迄抗戦と。


十一月二十六日 金
○長興陥落と報ぜらる。陸軍は南京へは行き度くない肚、行って貰はにゃならぬ。


十二月十一日 土
○南京陥落し相でしない。


十二月十三日 月
○蕪湖附近で我海軍機米砲艦パネー号撃沈事件あり。それは昨日大臣は米大使を往訪、陳謝す。いやいやながら。


十二月十四日 火
○南京カンラクで市中大提灯行列。


十二月十七日 金
○今日南京入場式とやら。
○陸軍は蕪湖で英艦を砲撃しながら中々其非を認めんとはせず。英艦の方で煙幕を張って支那敗ザン兵を収容したのだなどと
 読人知らずの電報などをまわしてよこす。



昭和十三年


一月六日 木
○上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。
 嗚呼之が皇軍か。日本国民民心の廃頽の発露であろう。大きな社会問題だ。


一月十日 月
○米大使(Joseph Clark Grew)本朝大臣を来訪、日本軍杭州にて又米人の財産掠奪と苦情を云ふ。
 アキれ果てた皇軍かな。此腐敗は人心革命によってのみ是正される。


一月十四日 金
○「支那現政府を相手とせず」声明にて閣議、午後四時半独大使大臣を来訪して支那側の回答をもたらす、
 曰く日本側の提示条件は漠として内容を詳かにせず、もっとハッキリ云って呉れと。之を閣議に謀るに、
 支那側誠意なし「相手とせず」に邁進すべしと云ふ事に決定せらる。誰かベソをかくだろう
○河相君上海より帰来しての話に、前線は腐って居る。


一月十七日 月
○南京、杭州では引続き日本軍が米国人の家屋へ侵入して掠奪暴行をやるとて米大使より厳重抗議して来る。
 出先きは正に腐って居る。人道のさばきは来ねばならぬ。


一月二十八日 金
○米領事「アリソン」南京にて我兵に殴らる。其軍側の公表に曰く、お前が悪くて殴られたのだが遺憾だと。
 之で外国の感情がよくなる筈があるか。


二月九日 水
○印度のコングレス排日決議、大亜細亜主義の声ある日本が世界から総スカンを受けるとは皮肉だ。

 石射猪太郎(1887〜1954)