南京事件否定論者の歴史観

某所でApemanさんに対し提示された南京事件必読文献リストの内容について先日取り上げましたが、
リスト内、Amazon.co.jpにおいて確認可能な日本語訳本について、その説明文抜粋*1を以下にまとめます。
独特な歴史観の傾向がよく分かり興味深いですね。


1. 『 暗黒大陸中国の真実 』 芙蓉書房出版 (2004/07)
戦前の日本の行動を敢然と弁護し続け、真珠湾攻撃後には、反米活動の罪で投獄されたアメリカ人外交官がいた! 元上海・福州副領事が赤裸々に描いた中国の真実。1933年にアメリカで出版したものの完訳。


2. 『 再審「南京大虐殺」―世界に訴える日本の冤罪 』 明成社 (2000/12)
南京にいた欧米人で「30万人虐殺」を主張した人は皆無、日本軍にあった「国際法遵守」「不法行為禁止の命令」、大量殺害の証拠とされる「埋葬記録」の水増しなど、中国の「南京大虐殺論」を徹底批判。英文併記。


3. 『 シナ大陸の真相 』 展転社 (2001/01)
支那事変と満州事変は表裏一体のものだが、日本が支那においてとっている行動は決して侵略と破壊を目的としたものではなく、東亜の秩序を確立し混乱を収束するためのものなのだ、日本は国際法にしたがって忠実に行動しているだけであり、欧米列強と事をかまえる意図など少しも無い…、支那事変前夜の大陸の政治的実情と国際社会の視線を冷静に公平に且つ鋭く見据えていた著者の観察は、日本の正義を主張してやまない。


5. 『 朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 』 講談社 (1998/08)
本書は、著者が1894年から1897年にかけて、4度にわたり朝鮮を旅したときの紀行である。当時の東アジアは日清戦争前後の激動の時代で、朝鮮半島においても各国の思惑が入り乱れ、著者自身幾度か謁見したことのある閔妃が殺害される事件も起きている。
そんな戦争と政争の中ではあるが、旅をする著者の視線の多くは庶民の日常生活と豊かな自然に注がれている。交通事情が劣悪なために、快適な旅とはいえないことに遭遇することも少なくないが、60代とは思えないパワフルな活動力でそれを乗り越えていく様は痛快ですらある。
当時の朝鮮はまた、開国間もない時期であり、外国人に対する偏見も根強く残っていた。ただ、それだけに伝統的風土・民俗・文化等が色濃く残り、特に本文中2章を割いているシャーマニズムについては著者自身も大きな関心を抱いたようで、悪霊払いのプロセスを延々と紹介している部分もある。これらの伝承は記録としては残りにくいものであるから、貴重である。
時代が時代であるだけに、日本人についての記述も少なくない。著者自身は日本を先進国入りしつつある国、と認識している様子で、朝鮮に対する影響力を徐々に強めていることに関しても、帝国主義が当然の時代とはいえ、淡々と描写している。ただし、秀吉による侵略以来の「恨み」については何度も語っているので、朝鮮人反日感情は、著者の目にもあからさまのものだったのだろう。
この時期の朝鮮について、政治的な思惑なしに、これだけ広範囲のことを記述したものはほかにない。それだけに、資料としての価値の高さがあるとともに、素顔の朝鮮があざやかに見て取れる名紀行でもある。


6. 『 日中戦争見聞記―1939年のアジア 』 講談社 (2003/08)
廬溝橋での軍事衝突に始まる日中戦争。それは、軍国日本が東アジアに影を落とす時代の象徴的な事件である。1939年、この緊張高まる日本・朝鮮・中国・モンゴルをドイツのジャーナリストが訪れた。彼は、各地で会見した要人の人物像を犀利に語り、過酷な時局を生きる庶民の姿にそれぞれの民族性を洞察する。太平洋戦争前夜の極東を描く貴重な記録。


7. 『 シュリーマン旅行記清国・日本 』 講談社 (1998/04)
トロイア遺跡の発掘で知られるハインリッヒ・シュリーマン。彼はその発掘に先立つ6年前、世界旅行の途中、中国につづいて幕末の日本を訪れている。3ヵ月という短期間の滞在にもかかわらず、江戸を中心とした当時の日本の様子を、なんの偏見にも捉われず、清新かつ客観的に観察した。執拗なまでの探究心と旺盛な情熱で、転換期日本の実像を生き生きと活写したシュリーマンの興味つきない見聞記。

これまで方々の国でいろいろな旅行者にであったが、彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。──(第4章 江戸上陸より)


8. 『 ザビエルの見た日本 』 講談社 (1998/11)
日本人の西欧文化受容に重要な役割を演じたフランシスコ・ザビエル。1549年に来日すると、旺盛な行動力で布教に邁進した。その間、スペインのイエズス会や友人宛に手紙を書き送る。いわく、日本人は知識に飢えている。神の存在に興味を示し説教に真剣に聞き入っている。いわく、日本はキリスト教伝道にふさわしい国だ……。書簡から、ザビエルの心情とその目に映った日本人像を読みとる好著。


9. 『 アメリカの鏡・日本 』 角川学芸出版 新版版 (2005/6/1)
終戦直後「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と主張したアメリカの女性歴史家による、グローバルな視点で説き明かされる開国以降の日本の行動。マッカーサーが日本での出版を禁止した、日米戦争の貴重な歴史書


10. 『 平和はいかに失われたか―大戦前の米中日関係もう一つの選択肢 』 原書房 (1997/09)
米国の極東政策の失敗による日米戦争の必至と戦後の米ソ対立を予言。方法論的確かさでジョージ・ケナン入江昭らに注目された幻のメモランダムとウォルドロン海軍大学教授の解説。


11. 『 アメリカ外交50年 』 岩波書店 (2000/10)
アメリカの戦後世界政策を構想した著者ケナンが,アメリカ外交の伝統における現実感覚の欠如を批判しつつ,そのあるべき姿を提言した外交論の教科書ともいうべき古典.1900年からの50年間にアメリカがとった外交上の態度を徹底検証した講演集に加え,ソ連「封じ込め政策」の理論的基礎を示し反響を呼んだ論文等を収録.


12. 『 レーリンク判事の東京裁判―歴史的証言と展望 』 新曜社 (1996/09)
東京裁判で反対意見を貫いたオランダの元判事が、知られざる法廷の内幕を生々しいエピソードや人物評をまじえて率直に語り、今も論争の絶えない多数の問題点を、その後の国際関係の現実と国際法の理念に照らして詳細に検討する。聞き手は現在国連旧ユーゴスラビア戦争犯罪法廷の裁判長を務めるイタリアの世界的国際法学者。


15. 『 千畝―一万人の命を救った外交官 杉原千畝の謎 』 清水書院 (1998/08)
正義・決断・勇気・行動・そして謎の外交官、杉原千畝。戦火の中ナチスに追われたユダヤ人たちが杉原のヴィザを求めてやってきた。杉原はなぜ危険をかえりみず行動できたのか?ボストン大学教授ヒレル・レビンが冷静な眼で追う。杉原ヴィザの謎!ヴィザ大量発給の謎!正義の外交官の謎!日本外交史の謎。


16. 『 やがて中国との闘いがはじまる 』 草思社 (1997/07)
過去2世紀にわたる衰退期を脱し、いまや世界史上最大規模の経済成長を続ける中国はアジアでの覇権を目指し、アメリカとの衝突は必至である。中国の行動原理を多角的に明らかにし、その潜在的驚異を徹底的に論じる。


18. 『 アウシュヴィッツ186416号日本に死す 』 産経新聞ニュースサービス (1995/11)
刺青、拷問、…そして愛。ナチス占領下フランスで抵抗運動。アウシュヴィッツに送られ、生還して日本で亡くなる。偉大なレジスタンス戦士が遺著で全てを語る。


19-1.『 共産主義黒書 コミンテルン・アジア篇 』 恵雅堂出版 (2006/7/25)
ロシア革命の世界革命化を狙ったコミンテルンと、人類史上未曾有の犠牲者を生み出したアジア共産主義の現実。ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は、ソ連2000万、中国6500万、ベトナム100万、北朝鮮200万、カンボシア200万、東欧100万、ラテン・アメリカ 15万、アフリカ170万、アフガニスタン150万を数え、合計は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドはどこが違うのか。なぜ、共産主義は今日まで弾劾されずにいるのか?


19-2.『 共産主義黒書(ソ連篇) 』 恵雅堂出版 (2001/11/25)
人類初めての共産主義国家「ソ連」の誕生から崩壊までを、暴力、抑圧、テロルを軸に豊富な資料で克明に描いた“ソ連篇”。戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者2500万人に対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国で6500万人、全世界では合わせて1億人を数える。民族・人種によるジェノサイドと階級・思想によるジェノサイドはどこが違うのか?ついに開けられたパンドラの箱


20. 『 九評共産党―共産党に対する九つの評論 』 博大 (2005/05) ※1
台湾の大紀元時報が社説として発表した、中国共産党を批判した文章。1963年に人民日報上でソビエト連邦共産党を批判した文章である「九評蘇共」の体裁を模している。

本書は中国語で記載されたものが原本であるが、日本語や英語を始めとした各国語へ翻訳されており、中国共産党の真の姿を知る為の本として各国でベストセラーになっている。ただし、日本国内においてはあまり売れていないようである。また、本書はインターネットからPDF版を無料でダウンロードすることも可能。
本書を読んだ中国人が中国共産党から退党する活動が起きており、2006年12月末現在で1,670万人以上の中国人が退党を宣言していると大紀元は主張している。


22-1.『 紫禁城の黄昏―完訳 (上) 』 祥伝社 (2005/03)*2
東京裁判」と「岩波文庫」が封殺した歴史の真実!
清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)のイギリス人家庭教師による歴史の証言。映画「ラストエンペラー」の原作にして、戦前のシナと満洲、そして日本との関係を知る第一級資料、待望の完全訳上巻では、原著全26章のうち、第一章から第十四章までを収録。うち第一章から第十章までの邦訳は、岩波文庫版未収録。

近代化を唱える康有為(こうゆうい)の運動が失敗に終わり、西太后(せいたいこう)が実権を掌握すると改革派の光緒帝(こうちょてい)を幽閉し、反動政策を推し進める。だが、ついに革命を誘発し清朝は滅亡。
即位して間もない少年皇帝・溥儀は、曖昧な条件の下、そのまま紫禁城に住み続けることになった。 そんな中「帝師」の要請を受けた著者は、日々皇帝に接し、唯一の外国人として紫禁城の内側をつぶさに見聞する機会を得る。
清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の家庭教師として、皇帝の人となり、紫禁城の内幕、満洲問題と日本との関係を、内側からつぶさに観察したイギリス人による貴重この上ない歴史の証言。原著は1934年刊行。

「『紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。もちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した」 (監修者のことば)


22-2.『 紫禁城の黄昏―完訳 (下) 』 祥伝社 (2005/03)
日本公使館に逃げ込む皇帝。その時日本政府は、いかなる態度で接したか

日本人の中国観、満洲観が、いま根底から覆る!
岩波文庫版で未収録の章を含め、本邦初の完全訳。待望の刊行
下巻では、原著全26章のうち第十五章から終章までを収録。うち第十六章は岩波文庫版未収録。とりわけこの章は、満洲人の王朝の皇帝が父祖の地にもどる可能性について、当時(1920年代、満洲国建国の前段階)どのような報道や記録があったかの第一級歴史資料であり、戦前の日本、シナ、満洲の関係を知る上でも必読。
紫禁城を占拠された皇帝は日本公使館に逃げ込み、やがて父祖の地へ帰る機会をうかがう。
内務府の腐敗摘発、宦官の追放など宮廷改革に挺身する皇帝であったが、1924年紫禁城が占拠されると、皇帝は著者とともに日本公使館に身を寄せる。紫禁城は完全に闇に閉ざされ、皇帝は、いよいよ父祖の地へと向かう。

「(本書によって邦訳が戦後初刊行となる)第十六章は、満洲人の王朝の皇帝が、父祖の地にもどる可能性について、当時どのような報道や、記録があったのかの第一級資料である。日本の政府が全く関与しないうちに、それは大陸での大問題であった。溥儀(ふぎ)が日本公使館に逃げ込んできた時の芳沢(よしざわ)行使の当惑、その後も日本政府がいかに溥儀にかかわることを嫌ったか、その側にいたジョンストンの記述ほど信用なるものはない」 (監修者のことば)


26. 『 在日・強制連行の神話 』  文藝春秋 (2004/6/22)
在日コリアンのほとんどは戦前日本が行なった強制連行の被害者及びその末裔だ、という「神話」がある。この神話は日本社会に広く流布し、今や「常識」にすらなりつつあるが、著者はそれに疑問を呈する。多くの在日一世の証言を読むと、大多数は金をもうけにあるいは教育を受けに、自らの意志で海峡を越えた様子がみてとれるからである。著者はこの「神話」がどのようにして拡がり、どう今の日本社会に影響しているかを分析しつつ、その実像に迫る。


27. 『 中国の嘘―恐るべきメディア・コントロールの実態 』 扶桑社 (2005/02)
経済学者・ジャーナリスト。1956年、中国湖南省生まれ。湖南師範大学卒。上海・復旦大学で経済学修士号を取得。湖南財経学院、〓南大学で教鞭をとり、中共深〓市委員会宣伝部に勤務の後、『深〓法制報』で長らく記者を務めるかたわら、中国社会科学院公共政策センターの特約研究員となる。98年に政治経済学の視点から中国社会の構造的病弊と腐敗の根源を衝く『現代化的陥穽』(邦訳『中国現代化の落とし穴』)を出版。知識人層から圧倒的な支持を得たが、共産党政権下の政治的タブーに踏みこむ言論活動を貫いたため、国家安全当局による常時監視、尾行、家宅侵入をはじめとするさまざまな圧力を受け、2001年に中国を脱出して米国に渡った。現在はニューヨーク市立大学で研究活動に従事し、『当代中国研究』誌などに意欲的な論考を発表して精力的な活動を続けている。混迷を深める現代中国の動向を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンのひとりである


28. 『 中国現代化の落とし穴―噴火口上の中 』 草思社 (2002/11/30)
1978年に始まった中国の経済改革が、20年間にもたらしたものは何であったか。この改革によってどの部分の人間が利益を得たのか。彼らはどのような手段で利益を獲得したのか。他の階層の利益が損なわれた基礎のうえに、彼らの利益が築かれたのかどうか。中国の思想界では1998年以降「こうした良心の問いかけ」がしだいに高まり、「改革」に対する反省が「おもな潮流」となった、と本書はいう。

著者の何清漣も若き女性歴史・経済学者としてこの潮流に加わり、1997年に改革の誤りを大胆に指摘する『中国的陥穽』を著した。この中で彼女は、中国の経済改革は毛沢東の当初のスローガン「化私為公」(個人のものを公のものにする)の革命的逆転すなわち「化公為私」(公のものを個人のものにする)にすぎないと書いた。すなわち「1949年いらい、中国共産党は暴力を用いて有産階級を消滅させ、1978年以降の改革のなかでは、中国共産党の権力掌握者が権力を利用して自分たちや家族を成金階級に変えた」というのである。

この本は学術書にもかかわらず、中国国内でベストセラーとなった。一部の学者は何清漣を「真の愛国主義者」「中国の良心を代表する知識人」と呼び(訳者あとがき)、その後「中国の改革を喜び勇んで賞賛する人はいなくなった」。しかし、腐敗と富の分配の不公平に抗議する天安門広場の学生たちを、人民解放軍の戦車の下敷きにした中国共産党が、このような「潮流」を許すはずがない。2000年以降、この種の「反省」に対する政府の弾圧が厳しくなり、『中国的陥穽』は発禁となる。著者自身も2001年6月、公安当局の監視を逃れるため米国に渡った。

本書は、米国で『中国的陥穽』の英訳版を出版するにあたり、新材料を加えた改訂版(中国語版)からの翻訳である。おりから中国はWTO加盟一周年を迎え、中国各紙は加盟がもたらした好調な経済指標や自動車製造業などへの効果を紹介している。日本でも中国経済の活力に注目する経済専門家が少なくない。しかし、何清漣は本書の中で、汚職と腐敗の横行、貧富の格差の拡大、生態環境の破壊、国有企業の相次ぐ倒産、不良債権と失業者の増大など、中国経済の惨状を余すところなく展示してみせる。すべては、全体主義が市場に介入した結果である。「権力の市場化」を起点とする改革の代価を支払ったのは、総人口の8割以上を占める「社会の底辺層の人民」であり、「改革の成果」を享受したのは少数の権力階層だけだった。精密な統計と科学的な分析に基づくこの総括は、かなり怖い。(伊藤延司)


29. 『 レイプ・踏みにじられた意思 』 勁草書房 (2000/05)
レイプは、単なる性的犯罪ではない。女性を支配するための卑劣な威嚇である。家庭で、組織で、紛争地域で、なぜレイプは存在し続けるのか?古代から現代まで、繰り返される歴史を徹底的に分析し、これまで造られてきたあらゆるレイプ観をくつがえしたフェミニズムの原典。
※参考


30. 『 「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究―中国における「情報戦」の手口と戦略 』 祥伝社 (1999/09)
1997年、突然アメリカで出版された『ザ・レイプ・オブ・南京』。「南京虐殺」はナチスホロコースト以上と主張する同書は、歴史的事実を無視したひどい内容にもかかわらず、50万部を越すベストセラーとなり、アメリカ人は初めてこの事件のことを知った。日本がここで反論しなければ、同書の内容が「世界の常識」となり、日本は立ち直れなくなるであろう。これこそ情報戦をお手のものとする中国の常套手段なのである。

*1:20のみWikipediaより抜粋

*2:同翻訳本はこの他に岩波書店版本の風景社版がありますが、この祥伝社版は説明文(監修者:渡部昇一氏によるもの)が無駄にテンションが高かく面白いので選択。下巻も同様