東京裁判宣誓口供書から


役職や南京での滞在期間に関する箇所を抜粋します。*1

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一、私は現在、東京都世田谷区松原町三丁目一○三○番地に住居して居りますが、昭和十二年(一九三七年)四月三十日から同年八月十六日迄、大使館参事官として南京日本大使館に勤務し、次で八月二十九日から翌年(一九三八年)三月三日迄、同じ資格で上海に居りましたが、同年三月十七日、総領事に転官し、夫れから十二月十二日、命に依り帰朝する迄、上海総領事館を主宰して居りました。


上海の勤務中、南京へは四回参りました。第一回は昭和十二年(一九三七年)十二月十七・十八の両日、日本軍の入城式及慰霊祭に参列の為、第二回は同年十二月二十五・二十六の両日、第三回は翌年(十九三八年)二月一日から八日迄、第四回は同年三月二十七・二十八の両日、維新政府成立の儀式に参列の為でありました。
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1937年4月29日〜1938年3月3日まで、南京日本大使館の大使館参事官だったようで。*2
事件当時の役職は、
「当時現地にあって外交折衝の任に従事していた南京大使館参事官日高信六郎」
で間違いではないようですね。

*1:日中戦争史資料8』 P180

*2:正確には、南京:1937年4月29日〜8月16日 上海:1937年8月29日〜1938年3月3日