A級戦犯の呪い

Jodorowsky2008-05-11

 
田中正明センセイの名著『 "南京虐殺"の虚構 』より、
身も凍るような話を引用。*1
 

ウォーカー中将頓死のこと

 その七戦犯の処刑執行責任者はヘンリー・ウォーカー中将である。彼が刑の執行を命令し、処刑した七人の遺体を深夜トラック二台に積んで、護衛をつけ、久保山火葬場まで運搬し、厳重に憲兵を配置して、火葬に付した。そして、どこに捨てたか知らないが、太平洋にその骨を捨てて処理した−−宗教的儀礼もなく、馬の骨でも捨てるように−−、そのすべてをはたしたのがウォーカー中将であった。
 昭和二十五年、朝鮮戦争がはじまり、ウォーカー中将も兵を率いて韓国におもむいた。戦場視察のため、断崖絶壁の雨にぬかるむ海岸道路を走っているとき、後から来た友軍の貨物自動車の追突をうけた。彼の自動車は、もんどり打って数十メートル下の渚に転落し、アッという間もあらばこそ、彼はあえない最期をとげた。なんとその日が祥月命日、十二月二十三日、しかも午前零時、奇しくも死刑執行の同じ日、同じ時間であった。三年後の昭和二十六年のできごとである。
 マッカーサー元帥はじめ米国の首脳たちは、このときはじめて、怨霊のおそろしさを知り、ふるえあがったという。
 興亜観音奉賛会や七人の遺族たちは、このウォーカーの頓死をきいてあわれみ、「興亜観音に恩讐のへだてはない、自他平等だ、それが松井大将のこころでもある」、そういって、ウォーカー中将の霊をまつる墓標を、観音堂のうしろに建てて供養した。

コワイデスネー...
 
因みに同様の内容をネット上でも発見。
 
「奇しくも七烈士の祥月命日に事故死したウォーカー中将」 松木佶 興亜観音第5号(平成9年4月18日号)
 
興亜観音関係者ですが、微妙に話しが食い違ってます。
まず、田中センセイは断崖絶壁の海岸道路と場所を説明してますが、松木さんによると

 韓国軍第2連隊憲兵憲兵隊長崔永詰少佐の言によれば、「午前11時頃、議政府南方5キロの道路脇で休憩していた韓国軍の中型トラック6両のうちの1台が、本道に出たとたん、南から猛スピードで走ってきたジープのバンパーが接触し、そのジープは泥濘にスリップして、横転した、付近には数百人の米韓軍将校がいたが、かけよったグループの間から、将軍が死んだ、という叫びが響き一同を驚かせた。」という。

「議政府」という地名を確認するとこんな感じ → 議政府市
少なくとも「海岸」では無さそうでし、時間も午前11時頃ですね...。
 
どのような事件だったか調べるために
ヘンリー・ウォーカー(Henry Walker)という名前を調べてみましたが、大昔のイギリス人クリケット選手しか該当しない。
そこで「ウォーカー中将」で調べていくと、ウォルトン・ウォーカーという人物が、中将として来日した後に、朝鮮戦争に参戦し、12月23日に亡くなられている。
恐らくこの人物が、田中センセイがA級戦犯に呪い殺されたとする「ヘンリー・ウォーカー中将」のことだろう。
更に、英語WikipediaWalton Walker で調べてみると、死亡原因は松木さんの話と同様で、場所もソウル北部ということで一致します。
さて処刑執行責任者かどうかですが、日本では第八軍の戦力の立て直しを担当した程度のことしか書いてませんね。
いつも通り、ガセ かなぁ...?*2
 
まぁ、とりあえず「ウォーカー中将」が12月23日に死んだことだけは事実のようです。
いやー恐ろしいですね。
 

*1:P85〜86

*2:花山信勝巣鴨の生と死―ある教誨師の記録」(=平和の発見)によると、ウォーカー中将が処刑執行の責任者であったことは事実のようです