佐藤振壽関連[2]

 
次に実際の証人尋問でのやりとりを抜粋。
 

P120-129
平成一六年七月一二日 東京地裁
 この裁判で唯一証人として採用された九一歳の佐藤振壽カメラマンが車椅子に乗って看護師と息子さんを伴って出廷した。佐藤振壽さんとは、訴状提出の日にお会いしたのち何度も会っていた。証人尋問の数ヶ月前には体調をくずされて、病院に入院されていたが、病院におじゃまして証人尋問の打ち合わせをした。
 何度も休廷し、血圧を測りながら佐藤さんは明確に「百人斬り」を否定した。
 佐藤さんは「百人斬りの話を聞いてどう思いましたか」という私の質問に答えて「一○○パーセント信じていない」といった。その理由は次の通り。

「戦争になって、あの二人の話を聞くと、伝家の宝刀を抜いて中国兵を斬るんだと。一人目、二人目と斬ったとしても、あの人たちの当番兵の記録であって、何人になるか分かったものではない。しかも当時の日中戦争は、日本軍が相当苦戦をしておりまして、戦争するものの形は刀で斬るような戦争じゃないんですよ。早い話が、私のいる所からは、鉄砲が三○○メートル先に照準が合うようになっている。三○○メートル先の敵を撃つんですよ。それを、あたかもチャンバラごっこみたいに、目の前の兵隊を、一人斬った、二人斬ったと、そういうような戦争の形は私は見てませんから信用できません」

 
 佐藤さんは、私が質問のなかで野田少尉が大隊副官、向井少尉が歩兵砲の小隊長という役職にあったことを指摘すると、

重要な役目だから、これからも戦争で大変だろうとは思いましたよ。したがって、そういう役目の人が、チャンバラごっこみたいに刀を振り回してシナ兵を斬るなんていうばかな話はない。ばかな話ですよ、ボクに言わせりゃ。そういう白兵戦になったら、戦場は混乱しちゃうんですよ。例えば、野田さんは冨山大隊の大隊副官ですからね。大隊長の命を受けて、何中隊はもっと右へ行けとか左へ行けとか。そして、向井さんは、敵が近いから、歩兵砲を組ませて、もっと先をねらうようにして撃てという、せっぱ詰まった戦術を指示して号令をかけていたと思います。そういうような状態なのに、刀を振り回してただ斬るというだけで、そういう時間はなかなか得られないと思いました」

 と答えた。
 
 また陸軍省の検閲について佐藤さんは、

陸軍省から従軍許可証が交付される場合、その中に、記事も写真も全部、軍の検閲を受けた後に掲載するべしと一項目が書かれているんです。ですから、浅海記者が書いた記事も、軍に検閲に出されて、検閲官がその記事を読んでいるはずですよ。読んだ検閲官が、これはうそと思ったら、うそだとして不許可にすればいいのに、それが通ってしまった。どうして通ったかというと、戦意高揚の考え方があったから、それをうそだけど通してやる」

 と答えた。佐藤さんはそういう陸軍の検閲の甘さが「百人斬り」という虚報を生んだのだと陳述書にも書いていた。
 確かに陸軍検閲の甘さだといってよい。戦意高揚どころか、中国国民党の国際宣伝処の目にとまって、工作員のティンパーレーに日本軍の残虐行為として宣伝されてしまったのだから。
 
 また、佐藤さんは『中国の旅』の取材のあまさや検証のなかったことについても証人尋問のなかで痛烈に批判した。

「僭越だけど、私に聞かないで百人斬りの話なんか分かるはずはないと思って、したがって、朝日新聞の記事はうそであるという結論に至りました。ジャーナリストが一つの事実を報道する場合に、あくまでそれが真実であると確信しなければ、原稿に書いてはいけないことなんですよ。原稿に書くとそれはうそになる。真実が報道されないということですから、うそ話であり、場合によればほら話というふうにも取られかねません」

 
 最後に南京大虐殺記念館に佐藤さんが撮った二人の少尉の写真が大きく引き伸ばされて展示されていることについてどう思うかと質問した。佐藤さんは、

「私にも毎日新聞にもあれを出すよというような了承を何もなしに出されて、一方的にあの写真を出されたことはすごく迷惑です。私は、あれ、中国通の人に、中共とけんかするつもりだと。何けんかするんだって。実はあの二人の写真は、全然おれの許可無しに、あたかも三○万の虐殺の張本人のように扱っているから、これは不本意であるし、しかも、しれが原因で銃殺されたということだから、遺族に対しては誠に申し訳ないということで、あの写真が出るたびに私は内心忸怩たるものがありました」

 と答えた。
 
 九○歳という高齢でしかも車イスに乗りながら、「中共とけんかする」と言った佐藤さんの姿に感動した。
 
 佐藤さんの質問は私が最初に主尋問をし、その後本多勝一代理人が反対尋問をした。本多の代理人は主尋問で佐藤カメラマンが「何人斬ったかは当番兵をとりかえっこして数える」という話を両少尉から聞いたが、「百人斬り」を「一○○パーセント信じていない」と証言したことに関連して、佐藤カメラマンに一九七二年の『週刊新潮』に掲載された記事を根拠に執拗に反対尋問した。
週刊新潮』一九七二年七月二九日に「『南京百人斬り』の"虚報"で死刑戦犯を見殺しにした記者が今や日中かけ橋の花形」という記事が載った。そのなかで記者が佐藤さんを取材した結果が記されていた。
「あの時、私(佐藤さん−筆者注)がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけど、確かどちらかが"あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか"と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているんだ、という話だった。--それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ」と書いてある。
 本多の代理人はこの最後の「それなら話はわかる」という点を何度も質問していた。ようするに当番兵を取り替えるという話を聞いて、「百人斬り」を信じたのだろうということを言いたかったようだ。
 しかし、そこはなかなか佐藤さんが納得しない。
 本多の代理人と佐藤さんのやり取りを引用する。

被告本多勝一代理人
週刊新潮』によりますと、あなたの発言で書いたということなんですが、これの三五ページの四段目の七行目から、「それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ」というふうに言っていますね。あなたの発言になっている部分、見てください。
 
佐藤
まだ分からない。
 
被告本多勝一代理人
全部前から読みましょうか。「そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているんだ、という話だった。--それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ」というふうにあなたの発言なんです。
 
佐藤
分かりましたけどね、ここで分かりましたと言っていますね。ちっとも分かっていないんだよ、これ。
 
被告本多勝一代理人
いやいや、あなたの発言ですから。
 
佐藤
原稿を書いた私としては、これまで分かっていません。『新潮』の記者さんが書いたのかもしれない。私がそのように発言したかどうかも今のロジックからいくと納得できない。
 
被告本多勝一代理人
その次に、具体的に、「佐藤カメラマンが二将校に会ったのは」、その前に、「それでは、ただ一方的に聞きっぱなしでいたのかというと、そんなこともない、という」と。そして今の話が出てくるんですよ。だから、あなたのお話を聞いて、一方的にお二人の話を聞いただけではないよと。自分から質問したんですよと。質問の結果、あなたのほうで、それなら話は分かるというふうにこれはまとめられているんですよ。
 
裁判長
質問は何ですか。
 
被告本多勝一代理人
要は、ほかの浅海一男さんとか、さっき読み上げた鈴木二郎も、浅海一男は話がリアリティーがあったと。だから信じた。鈴木二郎も、直接話を聞き、後方に送ったわけだというふうに書いているわけですよ。そうすると、当時かかわりあった記者の皆さんは、当時ですよ、現在じゃなくて、当時は、あなたの証言のように、それなら話は分かるというふうに思っていたんじゃないですかというだけの話です。
 
佐藤
当時としても、これでもって、そんなら話は分かるって私が即断したことが納得できない。余り話がうまく出来すぎちゃってる。浅海君の話とか鈴木君の話とかあって分かったと。だからその前のあれも必然的に納得できるということには私はならないな。
 
被告本多勝一代理人
要するに、あなたは、浅海さんとか鈴木さんの話は、信頼したと言っても、自分は必ずしもそうじゃないというふうにおっしゃりたいわけね。
 
佐藤
そうです。
 
被告本多勝一代理人
そうすると、その文章は違うということですか。
 
佐藤
そうです。

 
 完全に佐藤さんの勝ちである。普通、裁判所の法廷という場所において、相手方の弁護士から執拗に反対尋問されると頭が混乱して誘導にのってしまうものだ。しかし佐藤さんは冷静にそして言うべきことは言って、反対に本多の代理人があせってしまい、挙句に裁判長から「質問は何ですか」とたしなめられていた。
 こういうところも佐藤さんらしいと思った。本多の代理人の反対尋問の途中から佐藤さんは怒っていたのだ。尋問のあとで佐藤さんは私に、「なんだ。あいつは失礼なやつだ。私は納得していないんだよ」と語気を強めて言った。
 佐藤さんはとても優しい人だが、曲がったことが大嫌いで、一度気に入らないとなると、てこでも動かないところがあった。
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