戦史をまともに読め

 
80年代に行われた南京事件に関する議論は、1985年(昭和60年)の偕行社による「証言による南京戦史」の連載終了と、田中正明さんの画期的な一次史料改竄によって一気に収束していきます。そして、いわゆるマボロシ派の人たちは、文藝春秋などのメジャーな媒体から、『世界日報』『月曜評論』『ゼンボウ』『世界と日本』といったアレな媒体に活躍の場を移していくことになります。
そんな中から、改竄騒動が冷めやらぬ61年春に発表された、洞富雄さんの著書に対する批判論文「洞富雄著『南京大虐殺の証明』の虚構をつく どことどこが虚構か!」から興味深い部分を引用してみます。*1

戦史をまともに読め
 
 "死体橋""万人抗"のある江東門を典型的な日寇大屠殺の地であるとして昨年「南京大屠殺記念館」が建設された。最近友人がこの記念館を見学し、その報告をきき『侵華日軍南京大屠殺暴行照片集』をみやげに頂いた。どうしたわけかこの写真集は日本人には売らないそうである。
 それもそのはずで、表紙写真は前記の村瀬守保氏の夾江と揚子江の合流点に打ちあげられた戦死体の写真、中身の「凶残野蛮的屠殺」というのは、かつてサンケイ新聞が問題として取りあげた「徐州付近で13年3月」というキャプションづきの村瀬氏の写真。そのほか村瀬氏の上河鎮の戦闘跡の写真とみられるもの五葉、洞氏が『決定版南京大虐殺』に使用した写真ニ葉、毎日の記者が創作した"百人斬り競争"の記事や、南京には砲艦以外は参加していない海軍兵士が日本刀をもっている写真など虚構性が証明された写真ばかりで何ら目新しいものもない。
 私は昨年『正論』に『南京大屠殺記念館』に物申すという小論を発表し、かくの如き虚構の記念館を建造することは、日中友好に百害あって一利なきことを訴え、日中両国の投じの生存者存命者に公正なる国際機関を仲介として、日中両国の専門家による実証的、抜本的調査に乗り出すべきことを提案した。
 中国の唯一の公的資料集と証する『証言・南京大虐殺』を見ても、何ら裏付けも検証もない、矛盾だらけの、場合によると日時も場所も不明確な、個人的証言をよせ集め、その数字を合算して三○万だ、四○万だといっているのみである。中には笑止なことに日本の中山重雄氏のでたらめ証言まで入っている。
 洞氏の著書を総括すると、まず第一に、中国人や日本人のこれらの"白髪三千丈"式のでたらめの証言は全部信用してこれらを羅列するが、日本軍将兵や従軍記者の、虐殺はなかった、見なかったという話には耳を傾けようともしない。日本軍の戦史類も資料として取りあげない。これは本田、藤原(彰)氏らの大虐殺派の共通した点である。
 第二の豊富に資料は収集するが、その資料をすべて"虐殺"の方向で解釈する。素直に正しく読まないで、スガ眼で斜に読むのである。つまり初めから偏見をもって"大虐殺はあった"という色眼鏡で、何もかもその型に押し込めて考察する。矛盾するところは、「考えられぬでもない」「推察できる」「そうあにても不思議はない」・・・・・・といった得意の筆法で立論する。
 第三は、戦闘による敵の戦死者、埋葬死体、俘虜、便衣兵の摘出や処刑・・・・・・これらをすべて被虐殺者としてかぞえるやり方である。
 ともかく「朝日」は、宮崎支局長自作自演の「南京虐殺日記」を掲載し、ニセ写真までかかげて、大虐殺をねつ造している新聞社であるが、本著はその「朝日」の方針にふさわしく、中国側の唱える三十万、四十万に少しでも近づけるべく、涙ぐましき忠誠の"証明"(あかし)をたてるために書かれたものと見てよかろう。

基本的に洞&朝日批判ですが、これってタイミング的には、まさに田中正明さんにこそよく噛み締めて欲しい内容ではないでしょうか?イデオロギーや偏見から自由な目で見たとしても、史料が改竄されてちゃ意味がありませんからねw
 
 
 

 

あ、記者名を書くのを忘れてました
 
 

 
 
[:]
田中正明さんでした……
終戦直後や晩年に関してはわかりませんが、こと80年代の田中さんに関しては、同情するだけ無駄なような気がします。*2
以上。「1986年のマリリン」ならぬ「1986年のマサアキ」でした。
 
 
 

*1:月刊『ゼンボウ』昭和61年5月号 P84〜91

*2:同内容は、田中さんが87年に出版した、『南京事件の総括―虐殺否定十五の論拠』に収録されております。ただし2007年に出版された文庫版ではカットされてます。