トリミング事例

トリミングをしている書籍を図書館で捜してみました。
今後も見つけたら追加していくことにします。

再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪 竹本忠雄・大原康男 P60


10日頃には完全な無政府状態に陥り、統制を失った中国兵たちによる掠奪が横行した。在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、陥落直前の南京の様子を漢口のアメリカ大使館にこう報告している。
「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に対する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
南京にはたくさんの死体があった。それも平服の死体があった。


参考文献:南京アメリカ大使館通信、エスピー報告、38年1月25日 『南京事件資料集 第1巻』238頁

南京事件の総括 田中正明 P118-119


米南京副領事エスピー氏は本国政府に次のように報告している。
「・・・・・・市民の大部分は南京国際委員会の計画設定するいわゆる『安全地帯』に避難しおり、相当数の支那兵を巧みに捕捉するはずなりしが比較的少数なりしなり、実際に残留せる支那兵の数は不明なれども、数千の者はその軍服を脱ぎ捨て常民の服を着て、常民に混り市内のどこか都合よき処に隠れたるに相違なきなり」
また、氏の東京裁判への提出書類は次の通りである。
「・・・・・・ここに一言注意しおかざるべからずは、支那兵自身、日本軍入城前に掠奪を行いおれることなり。最後の数日間は疑なく彼らにより人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎとるための殺人をも行いしなるべし。
 また退却する軍人及び常民にても、計画的ならざる掠奪をなせしこと明らかなり。すべての公の施設の機能停止による市役所の完全なる逼塞と支那人と大部分の支那住民の退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市をいかなる不法行為をも行い得らるる場所となし終れるなり。
 これがため残留せる住民には、日本人来たれば待望の秩序と統制との恢復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえもありたることは想像せらるるところなり。」
(法廷証第328号=検察番号1906号中の一部を弁護人が朗読したも=速記録210号)

渡部昇一の昭和史 渡部昇一 P289-290

中国兵の集団不法行為
 第一には、中国兵が集団的に行った不法行為が、日本兵のせいにされたというケースである。
 中国兵が戦場において不法行為を働くということについては、当時、国際的に"定評"があった。彼らが行くところでは略奪、放火さらには殺人が頻発し、そのため、中国の一般市民ですら恐怖感を抱いていた。
 南京にいた中国兵が同種のことを働いたということについては、当時、南京にいた米国の副領事が、漢口の米国大使に送った報告に記されている。その一部を紹介しよう。
「しかしながら、ここで一言申し上げて置かねばならないのは、支那兵自身は日本軍入城前に掠奪をしなかったわけではないということです。最後の数日間は疑いもなく、彼らによって人間や財産に対して暴行がなされました。支那兵が大慌てで軍服を脱ぎ、平服に着替える最中には種々の事件が起き、その中には着物を奪うための殺人も行われたと聞いています。このような無秩序な時において、退却する軍人や一般人が計画的ではないにせよ、掠奪を働いたのは明らかです。(中略)このため、残留した住民には、日本人が来れば待望の秩序と統制が回復するだろうと、日本人を歓迎する気分さえあったことは想像できるところです」(中村・前掲書。読者の便を考え、現代文に改めた*1
 実際、さまざまな当事者たちの証言によれば、日本軍入城後に火災が発生した例は皆無に近く、火事はすべて陥落前に起こったことだという。そもそも自分たちがこれから駐留しようという町を焼く馬鹿はいないであろう。

本当はこうだった南京事件 板倉由明 P156


中国兵は退却に際して便衣に着替える。無論便衣は普段から持っているものではない。一般市民から着物を剥ぎとる行動の中には殺人や掠奪も行われている。
アメリカ大使館報告(エスピー報告)』は南京に残留したアメリカ人十四名から聴取した報告書で、漢口に居たアメリカ大使、ネルソン・T・ジョンソンに送られている。
アメリカ大使館報告(エスピー報告)】
然シナガラココに一言シ置カザル可ラザルハ、支那兵自身ハ日本軍入城前ニ全然掠奪ヲ為サザリシ訳ニアラズ、少ナクトモ或程度ニハ行ヒ居レルナリ。最後ノ数日間ハ疑ヒナク彼等ニヨリ人及財産ニ対スル暴行犯アレタルナリ。

 

プロパガンダ戦「南京事件」―秘録写真で見る「南京大虐殺」の真実 松尾一郎 P169-170
 
 さらに、当時の中国兵の特徴について、南京米国副領事エスピーは、東京裁判への提出書類の中で、『・・・・・・ここに一言注意しおかざるべからざるは、支那兵自身、日本軍入城前に掠奪を行ないおれることなり。最後の数日間は疑いなく彼らにより人および財産に対する暴行・略奪が行なわれたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人も行ないしなるべし』と、報告しているのである。
 この報告書にあるように、当時、日本兵よりむしろ中国兵の方が残忍きわまりない様子であり、・・・・・・

 

軍事評論家=佐藤守のブログ日記 2005-07-13 南京事件について(その5


勿論、占領下である以上、イラクバグダッドほどではなかったかもしれないが、残存中國兵によるテロ行為は続いていたに違いない。
当時の米国副領事が、1938年1月に国務長官宛に次のような「南京における状況」報告をしているが、その抜粋を書いておこう。

南京米大使館・作成者  米副領事 ジェームス・エスビー
       確認者  3等書記官 ジョン・エム・アリソン
       作成日付  1月15〜24日
       郵送日付  1938年2月2日
1, 12月10日以降南京に発生したる事項の概略
 シナ軍は市の城壁の外側の市に属する大なる部分を焼き居れり。これは軍事上の目的よりその土地の邪魔者を除去せるなり。然れども残留せる在留米国人は、退却中のシナ兵による城壁内にて行われたる財産の放火破壊および略奪は僅少なりと主張しおれり。故に日本軍は入城と共に南京が実際に荒らされおらざるを発見せり。市民の残りの大部分は南京国際委員会の計画設定せるいわゆる「安全地帯」に避難しおり、相当数のシナ兵を巧みに補足する筈なりしが比較的少数なりしなり。実際に残留せるシナ兵の数は不明なれども数千の者はその軍服を脱ぎ捨てて常民の服を着て常民に混ざり市内のどこか都合よき処に隠れたるに相違なきなり。
(中略)
 しかしながら、ここに一言し置かざるべからざるは、支那兵自身は日本軍入城前に全然略奪をなさざりし訳にはあらず。少なくもある程度には行ないおれるなり。
 最後の数日間は疑いなく彼らにより人及び財産に対する暴行犯されたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じその中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし。彼らの無秩序の時のことなり。
 退却する軍人および常民にても、時と場所とにては計画的ならず略奪を為せしことは明らかなり。全ての公の施設の機能停止による市役所の完全なる逼賽と、支那人政府と大部分の支那住民の退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市を如何なる不法行為をも行い得らるる場所となし了れるなり。
 これがために残留せる住民には日本人来たれば待望の秩序と統制との回復あるべしとの意味にて日本人を歓迎する気分さえもありたることは想像せらるる所なり」

口語体のしかも翻訳文なので、多少読みづらいところがあるが、米国人が当時の状況をどう捉えていたか、又「便衣兵」(修正・ご指摘感謝します!)がいたことを証言する貴重な記録であろう。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 小林よしのり P129


田中正明センセイの著書から引用しているようです。 参考

*1:おそらく、中村粲氏の著書からの引用だと思われる